今朝も太ももの張りが残っていた、、と言うよりいっこうに減らない体重から走らなくてもいいかな?と思ったが2日休んだらずっと走らなさそうな感じがしたので、重い重い体を起こして外に出た。
ちょっと迷った分かなり出るのが遅れた。
いつもある程度この実のないブログの為に写真を撮っているのだが、それも3枚程度にして走り抜けた。
おかげで1km6分台でゴール。
思えば写真撮らなければ5分台も夢ではない。
朝食は「いちごジャム&マーガリン」と牛乳。
良く見るとこの牛乳も豊富町のものだった。
牛乳パックの裏に場所が示されていた。
昔、家族旅行で1泊したのがここだったのを思い出した。
豊富温泉がわりと有名なはずだ。
思えばあれが父、母、兄、僕と4人で行った最後の旅行で、その時は最後になるなんて思いもしなかった。
あの時は退屈な授業のようにいかにして暇をつぶすかくらいに時間など価値が無かったと思う。
だからただの家族旅行を特にありがたみも無く、またすぐやるだろうし、今度は面倒だから行かないでおこうくらいに思ってたと思う。
だからと言って、「今」を感謝するのも難しい。
あるモノを数え上げ、いくら感謝したとて無くしてからでないと心を揺り動かす事ができない。
これが無いと仮定して、今あるモノをありがたく思う考えも、どちらかと言えばそれは守りの発想のような感じがして、イマイチ賛同できない。
いつでもコップの水は絶えず足りなくて、無くなったら真っ正面からクールな審判を受け止めて泣き、受け止めれなかったら崩壊するだけだ。
そんなクールな審判が今日降りた。
大家から家賃が1ヶ月分入金されてないと連絡がきた。
そんなはずはないと通帳記入をしに行って確認するとやっぱり入金漏れはない。
大家に電話しなおして確認すると、明日過去の入金を経理の者と調べて電話しますとかなり自信ありげな感じで言われた。
入金されてなかったら5万円の損害だ。
損害というか入れてないのだから実質プラマイ0なのだが、問題は「今」なのだ。
「今」、金が減るかどうかか問題なのだ。
帰って昔の通帳を引っ張り出し、ずっとずっとさかのぼると去年の8月に振込の記載がない。。。
一応、明日の電話を待ってみるが、多分「去年の8月ですねー」って勝ち誇って言われるのは99%目に見えている。。。
今日からもう外食は止めて極貧めしで行こう。。。
いつも金が大量に無くなった時、北の国からの五郎を思い出す。
五郎「いや、金をなくしたことこそが大きかったんだ。金をなくしたからじゃない。そのためにでっかいものを見つけた。金があったためにすっかり忘れかけてた・・・。金がなかったら知恵だけが頼りだ。知恵と、てめえの出せるパワーと・・・」
このセリフがいつも多少の慰めになってる。
ホント多少ね。
体重もパっとしない結果が続いてる。
消費していいカロリーの貯金もして行こう。
0 件のコメント:
コメントを投稿