2015年12月29日火曜日

大掃除 2015

会社の大掃除を午前中に目一杯やって、意外と今年は家に帰ってからもプチ大掃除をやった。
軽い筋肉疲労になり、思えば寒くなってからあまり体を動かしていない事に気づく。

今年も終わりです。
いろいろあった年でおおむね良かったと思います。



時間の進み方は年々どんどん速くなっていくけど、いよいよ高速になってきた感がいなめないです。

来年も健康で、とりあえず健康であれば何事にもやる気がそのうちきっと起きます。
起きたら面倒がらず腰を上げたいと思います。

無事今年を終われた事に深く感謝。
ありがとう2015。




2015年12月28日月曜日

有馬記念 2015

競馬に少しも興味を持てない人生で、おそらくこれからもずっと興味がないと思うのですが、毎年年末に行われるこのレースだけは友達につき合ってやります。






年末のボーナスも入ってみんな思い切って勝負ができているようで、ウインズの中も活気が違います。
毎年来ているのでこの人間の業を見て、ああ今年も終わりだなーって少し思うのです。

3時過ぎからのレースなのですが、お昼くらいに行ってもすごい人です。
椅子なんてもちろん座れるはずがありません。
何となくウインズの椅子に座れたら、もうそれだけで運を使い果たしそうな感じがします。



だからこのように各階の階段には座り込む人であふれています。
僕たちもここの空いているスペースを見つけて座りました。
こんな底辺なスペースでも「あった!」と急いでとりに行くのですから、人間の欲というか、物事の価値はは状況によって簡単に変わるのです。

ゴールドシップという馬だけギリ知っている感じでしたが、ほかは相変わらず全くわかりません。

去年も万馬券だったみたいで、人気の馬なんてアテにならないのはわかっているんです。
僕は結構かたい馬券を1,000円で3枚購入。
いつもそうです。

結果はヨドバシカメラのテレビででも見ようと思ってテレビコーナーの周辺をブラブラしていたら、レースの直前に店員がチャンネルを変えた。
きっとずっとテレビの前でたむろしてたおっさん達のせいだろうけど、それまで競馬のチャンネルだったのだから直前で変えるのはどうなんだろう。
それだったら他の所に行ったのに。

だから見れなかったのだが、後から動画で見たらこのレースで引退をするゴールドシップが最後尾からまくってかなり盛り上がったみたいだった。
白い馬がスーッと上がってくるなんて素人でもわかる物語性があったのに、ブツブツ。


あっ、もちろんハズレました。


どうやら今年も予想外の馬が来たらしい。
当る訳がない。
3,000円かけているあたり、ちょっと儲けようと思っているのが恥ずかしい。

ここに来れない友達の馬券もラインで聞いて購入したが、それも物の見事に外れていた。
もちろん一緒に行った友達もはずれた。


去年も有馬記念がハズレて次の年である今年はとくに悪い事がなかったので、きっとこれで来年も無事に過ごせる事でしょう。
と言う事でこれから願かけしようかな。


行く前に食べた立ち食いのかけそば。

細いけどコシがあって美味しいです。
今年もあと少し。





2015年12月25日金曜日

もちもちの木

セブンイレブンで売っているカップラーメン「もちもちの木」のドはまりしています。
だいぶ昔、松本人志の放送室というラジオでこれが一番美味いカップラーメンだと聞いてたけど、実際売っているのを見た事がなかった。


僕が気づかなかっただけで、よく売っていたのかも知れないけど、最近みつけて「これだ!」とすぐ飛びついた。

本当にカップラーメンの域を逸脱した美味さだったので、本当に驚いた。
大げさのようだけどホントに美味い。

すぐまとめ買いして戸棚にストックした。

しかし、3個目くらいに結構あきてしまった。
いかんいかん、。
もっと大人の付き合いでいかないといかん。

このブログ、気づいたら1000の投稿を前々回くらいで達成していた。
1000記事、全部圧縮して一つにしても少ししか味がしません。


2015年12月24日木曜日

カップ焼そば

夜寝る前に何かを食べるのは太る原因と言われてますが、どうしても我慢できない時がよくあります。

戸棚にカップ焼そばを常備しているのもいけないんですが、見てしまったが最後、電気ケトルのスイッチを自然の流れで押しています。

ですが、まだお湯を沸かしただけ、まだ引き返す事はできます。

ちょっと我慢してもう布団の中に入ってしまえばおそらく、絶対に大丈夫!




もちろん、そんなミラクルを起こした事は一度もない。
そして容器の中のお湯を捨てている最中に初めて罪悪感がつのるのです。

でもなんで深夜12時くらいに食べるカップ焼そばって美味しいんだろう?
きっと罪悪感が大きければ大きいほど、自制を振り切って解放すればするほど美味しくなるのだと思います。

2015年12月23日水曜日

甘えている目安

コンビニの中で一番セブンイレブンが好きです。
何と言ってもセブンイレブンが独自で出している食品のクオリティーがどれも高いからです。
新商品とフダがかかっているものはジャンル問わず手を伸ばしてしまいがちです。

ですが、自宅から一番近いセブンイレブンは大きい道路を挟んでいて、車で行くにも歩いて行くにも少々面倒な所にあります。





だからたまに行くとテンションが上がって、ついつい大量にあれもこれも買ってしまう。
いつも2,000円くらいは軽く越えてしまうので、大きい袋2つとかになってしまう。
コンビニでこの満載感はちょっと恥ずかしい。

それとコンビニで1,000円越える買い物すると、何故か少しお金に対して罪悪感を感じてしまう。
基本的にスーパーなどと比べて割高感がいなめないからだと思います。

これが2,000円を越えると「ああ、やっちまったな、、」と自制心が崩れている、何となく自分に甘くなっているなどと、さらに根深く自分をいさめてしまう。

心なしか店員も2つ袋を用意する時あきれているように見える。


2015年12月22日火曜日

THE MANZAI 2015

THE MANZAI 2015が意外と面白かった。
好きなコンビは人それぞれだと思うので、23組出た中で絶対どれかはハマると思う。

僕はタカアンドトシが一番笑った。
面白かったのももちろんだけど、しばらく見ていないのに漫才がキレっキレだったから驚いた。
そして確か彼らがM-1に出た時は10年目だったので、大会規定でラストイヤーとなり、その後のM-1には出られなかった。


それが今回久しぶりに彼らの漫才を見て本当に素晴らしいなと感じた。
中学生からの付き合いだけあってリズムや間も見ていて気持ちよかった。
特にタカが昔と違って、すごくリラックスしてやっているのでよどみがない。
これだけリズムがいいとルー大柴くらいのネタでも、二人の話芸に感心して笑ってしまう。
あと二人とも声がハッキリとしていて聞きやすい。

どのコンビもやっぱりM-1とレベルが違うのを感じた。
M-1がその年一番面白かったコンビを決めるなんて言われているけど、小説で言えばあれはちょうど芥川賞みたいなものかも知れない。

印象が変わったのは笑い飯とノンスタイル。
彼らは完全に自分たちの漫才が完成されていて、何か芸術品を眺めているような感覚になった。

漫才師はいつまでたっても漫才師で、きっとこういう日本中が注目する本気の場を求めていたのかも知れない。
やっぱりタレントではなくプレッシャーはあるけど、思う存分ガチンコ勝負をしたかったと思います。

そして特にこの前M-1で審査員をやっていた人達はより高いプレッシャーで挑んだに違いない。
下手したらキャリアに傷をつけかけない今回のステージは防衛戦に近いものを感じます。

おぎやはぎもよく出たなと思います。
彼らはもう漫才をやっていないだけで、また本腰入れたらスゴいのをやってくれるはず。
あとは三四郎も知っているネタなのにすごく面白かったです。

で、一つ思った事はコンテスト形式を止めて、レジェンド級のコンビが出る感じになったんだけど、来年からどうするのかな?
おそらく爆笑問題とかは絶対はずぜないし、すぐにマンネリ化が進んでしまうと思う。
次の年から呼ばれないとなると今回出た漫才師は結構ダメージがでかいし、制作側とタレントとの間で亀裂が生じるかも知れない。
ここはフジテレビが紅白みたいな感じで今年は選ばれた、選ばれないにして価値を高めていくのかな?

番組の勝負は来年だと思う。
さらに再来年の方がもっと厳しいかも知れない。
でも漫才師の本気度と番組の価値が高まって行けばすごい風物詩となる。

あと色々と叩かれるフジテレビですが、セットの豪華さは他の特番でもすごく凝っていると思う。
こういうのはテレビでしかできないんだから、もっともっとお金をかけて夢の様な舞台であっと言わせて欲しい。







2015年12月21日月曜日

すごいぞ、これは!

芸森で開催している「すごいぞ、これは!」を見に行きました。


アートの世界は様々なジャンルが枝葉のように別れて複雑になっていますが、その中でもアール・ブリュットというジャンルがあります。

定義は「生の芸術」というフランス語らしく、正規の美術教育を受けていない人が自発的に行った独自のアート。

と言う事になっていますが、実際のところは精神的疾患がある人の創作物の事を言うようになっています。
ここら辺は言葉選びが非常に難しく、何を言っても批判の対象になりやすいので、デリケートな扱いをしなければなりません。

何と言っても僕は一応健常者であり、健常者からの目線でしか物事を考えた事がない。
障がい者の立場になってというのもすでに健常者からの目線でしかないので、あまり深く考えてもやはりズレは大きくなるばかりだとある意味諦めているのです。
要約すれば僕は世界を救う事ができない、と言う、ものすごく格好わるい事をカッコ良く言うようにしています。




まあ、そんな固っくるしい事は抜きにして素直にこの展覧会を楽しんできました。
上の画像を見ればわかる通り、こういう事です。
何かイヤになってしまうでしょう。
この労力たるや、どっと時間を吸い取られて老けてしまうような感覚になります。

基本的に何かの繰り返しを永遠に行う「スゴさ」がどの作品にもあります。
黄金比率が円周率からきているように、宇宙の神秘、生命の根源は永遠に続いてく事を求めている。
そう考えればこの人達のやっている事には本当の美に限りなく近づいているものであり、僕たちはその途方もない神の領域を遠目から少しだけ見る事ができるのです。





全部すごかったのですが、中でもデコトラとか車の模型を厚手の紙でせっせと誰に見せる事なく30年間作り続けた人には驚かされた。
一つ一つが少し粗いものの、正確な比率で模型になっている。












上のような彼の部屋の写真もあったが、この写真こそが彼が何にも干渉されず創作された事を物語るアール・ブリュットそのものだった。
一つ作るだけでも相当時間がかかりそうだが、とにかく部屋中におびただしい数の模型が並んでいる。
改めて思ったが、どの模型も彼の中で大きさが決まっているっぽい。
普通の人ならちょっとスケールの大きいものに挑戦してみようとか、逆に極端に小さいものを作ってみようという考えが起きるはず。
つまり同じ事をずっとやると飽きてしまって、新しい要素を足すのが自然の流れだ。
だけど彼のはどれも決まったスケールで統一されている。
だからクレーン車と消防車の大きさの比率も常に合っている。
その彼が定めた大きさと言うのはどういう大きさなのだろう?
知りたい反面、ちょっと怖い気がする。
何故かと言えば、その大きさは実物と比べてきっと割り切れない数字や、何かの法則にピタリとハマったものがでてくるような気がする。
いや、おそらくそうなんでしょう。
「怖さ」にはこういった種類のものもある。



他には紙をはさみで端から毛のように細く切り刻む人の作品があった。
出来上がったの言えばこんなのです↓



コレに関しては特に美しさは感じません。
ただもの凄く究極に細く、紙の繊維のように切られた紙は全部は切らず、片方を残したまま、すだれのようになっています。
このいつ失敗してもおかしくない緊張感を通常の人が保てるはずがない。

このスペースには彼の作業風景の動画もモニターで流れていた。


 


そこには作家である障がい者の人が近くにある4本ある椅子の足の一つに自分の片脚だけを下に入れて、細かくゆらしてバランスをとっている。
そして凄まじい集中力で紙をはさみで切っている。
きっとあの足でゆらしている椅子は「あの椅子」でないとダメなんだろう。

その後ろで時より父親であろう人物がコーヒーを入れている。
特に会話もなく母親も出てくるが、干渉はしない。

これさへやらせておけばおとなしくしている子供。
そして彼をずっと見守り育ててきた親。
そういう空間や時間など全て含めてアール・ブリュットと言っていい。
コレに関しては作品そのものではなく、どのようにして作られているかということが大事なようです。
実際この動画を見ないと何がスゴいのかピンとこない。






そのフニャフニャに切り刻まれたゴミのようなものをショーケースに入れて作品としたのは紛れも無く周りの人達です。
彼らに作品を作るという概念はないそうです。
何かにやらされている訳でもない、かといってやりたいからやっているのでもない。
ただそれをやらざるを負えないからやっているのだと思います。





他にも写真を触り続けてそのボロボロになったモノが作品になっている人もいます。
何の事って思うでしょう?



人を驚かしたり、ビックリさせたり、感心させたりするのも「芸」ですが、「呆れさせる」のも芸だと思います。

これはこれを選んで作品とした選考委員の人を全部含めて作品と言っていいかも知れない。
なんて言ったって無意識に触っていただけでアートとなるのだから。

でも確かにずっと作品を見ていると何とも言えないノスタルジックな気持ちになります。
そしてそれは削られて浸食が進み、壊れ物としてのはかなさがある。
過去を頭の中で映像にすると、もしかしたらこんな感じかもしれないとも思った。

昔の自分の写真、つまり過去の物を現在の自分がずっと触り続ける。
過去はどんどん不鮮明になり、「今」であるキズが真新しくぽっかりと白で残る。
そう言った時間の対比はわかりやすいかも知れない。

などと、後から意味を持たせるのはいつもこっちサイドの人間です。
それにしてもどれだけ触っていたらこんなに角が丸くなるんだろう。
ここにも呆れるほどの「永遠」がある。





この展覧会に選ばれた12名は全国から文化庁と心揺すぶるアート事業実行委員会よって選ばれた人達です。
国がしっかりとこういう方達に力を入れ始めた事は嬉しく思います。
彼らは名声などに興味はなく、自らをアピールする行動をおこす事がない。
どこから作ったものが作品になるかと言えば、周りの人が動いて世間の人に見せてやって初めて作品となる。
そういった珍しい参加型のみんなで支えるアートなのです。

そして彼らの時間は瞬間移動したかのようにあっという間に過ぎたはず。


誰かが言ってた「永遠とは一瞬の事」というのはこういう事かも知れない。
そう考えたら、いつも足りないと思っている我々とは真逆の空間を過ごしているのかもしれない。



ちなみにせっかく紹介したのはいいが、今月の25日で終わってしまいます。
入場料は500円なので安いです。
だけど駐車料金500円もしっかりとられます。
森に入るお金、「森代」です。













2015年12月18日金曜日

岡本おさみ

作詞家の岡本おさみさんが亡くなった。



11月30日。
享年73才。

落陽(12月2日記事)襟裳岬(11月22日記事)などで最近彼の詩を取り上げていたいたので、何とも感慨深い物があります。
そして色々と調べたので、知れば知るほど詩情豊かな人だったと思います。

昔のフォークシンガーは若い頃に売れるとそれこそスターダム街道まっしぐらで、庶民の気持ちを経験できずに大人になる。
大体、歌手になろうとする才能があって、ましてや成功してしまうような人に普通の感覚が宿るはずがない。

吉田拓郎なんかはわりとすぐにデビューしてまったので、言いたい表現のネタが切れた。
悩みと言っても誰もが経験する事のできない「時代の寵児」の気持ちを詩にしても共感してもらえない。

そこに現れたのがこの岡本おさみだったのでしょう。
どこにでもいる普通の若者が一人でたっぷり旅をして、たっぷり言葉を何冊もノートに埋めていた。
そこにはあの時代の空気そのものが詰まっていて、全く新しい匂いがあったと思う。
それは吉田拓郎のキャラクターイメージそのものだったから、この青年と吉田拓郎を引き合わせた人もまたすごいと思います。

彼の書いた詩で落陽、襟裳岬に負けず劣らずの名曲「旅の宿」というのがあります。
敬意を称してこの詩についても言いたい事がたくさんあります。



旅の宿

浴衣の君はススキのかんざし
熱燗とっくりの首つまんで
もういっぱいいかがなんて
妙に色っぽいね

ぼくはぼくであぐらをかいて
きみの頬と耳はまっかっか
ああ風流だなんて
ひとつ俳句でもひねって

部屋の灯をすっかり消して
風呂上がりの髪 いい香り
上弦の月だったけ
久しぶりだね月見るなんて

ぼくはすっかり酔っちまって
きみの膝枕にうっとり
もう飲み過ぎちまって
きみを抱く気にもなれないみたい




出だしの「浴衣のきみはすすきのかんざし」が落陽、襟裳岬にも言える事だけど、すごくハマってます。
この一行で情景の雰囲気や臨場感をほとんど表現しきっている。

すすきをかんざしにする事で芸者を装った女性の悪ふざけがわかる。

ようは、、ああ、そうです、いちゃいちゃしているのです。

それにしても見事。
おそらく出だしの一行はどの曲もすごく神経を使っていると思います。

時間がゆっくり流れて男が理想とする夢のような時間を余すところなく表現している。
そして何より若い吉田拓郎の無骨でありながら繊細な感じもよく出ている。










もう飲み過ぎちまって
きみを抱く気にもなれないみたい


と最後に締めくくるこのエロさが何より世の男性の心を確実にとらえたと思います。
何と言ってももうアレもいいやってなるのですから。
これが普通の家にいる夫婦ならわかるが、ここは旅の宿です。
おそらくそういう行為も含めて二人で部屋をとっているのにも関わらず!

ちょっと興奮しすぎました。
悪いクセです。

このほろ酔いからのちょうど良いいいかげんさ、心の余裕感、器のでかさなど、いい男の感じが出ていますが、それと同時にまるで母親の腕に抱かれている子供のような時のうつろいがある。

とにかくここには政治的なイデオロギーもなにもありません。
戦い疲れた世の男性に「これでいいじゃないか」という本来日本人が忘れてしまったものを目の前に見せてくれたと思います。
映像装置なしで。



水木しげるや野坂昭如など今年も多くの有名人が亡くなったけど、この人が亡くなったのは僕の中で意外とかなりショックでした。

でも言葉はこれからも永遠に残る。
その残り香は少しずつ弱くなっていくけど、共通の財産となって、きっと別の形で蘇るでしょう。

詩集とかでないのかな。
出たら買おう。
若い時に書きためたたノートも見て見たいが、晩年の詩も見て見たいです。






2015年12月17日木曜日

大人?の部活

昨日は雪山でウサギを狩りに行きました。




モンハンです。

毎晩10時くらいからおっさん達が1時間ほどたわむれています。

思えばゲームボーイって出た時は「もうこれでどこでもゲームできるわー!」って衝撃的かつ革命だったけど、今はフルカラーで遠くの友達と会話をしながら一緒にできる。

だからきっと今の子供達はもう友達の家に遊びに行かないんだろうな。
今の時代、「お前んちファミコンないのかよー」ではなくて、「お前ネット繋がってねーのかよー」かもな。








2015年12月16日水曜日

硬直イベント

今朝、コンタクトを付けようとしたら落としてしまった。




しばらく探して何とか見つかったけど、毎回この瞬間はすごく嫌だ。
まず、最悪のケースである紛失という事態をサッと考える。

「3万かぁ、、」

そして体のどの部位も絶対に動かさない。
特に足は要注意だ。

首だけ動かして周囲を一つ一つ丁寧に見て行く。
この場合は消去法で一度見た所は見ない様に最大の注意力で挑む。
だから大体見つかるのだが、それでもヒドい時で30分くらい見つからない場合もある。

仕事から帰ってきてまずこのイベントが発生するとうんざりします。





2015年12月15日火曜日

スモーキー価格

外国のウイスキーの値段が円安の影響なのか何なのかわからないけど、昔と値段が結構違っています。

と言っても僕はアイラ島のシングルモルトばっかり飲んでいるので、かなり限定された解釈かも知れません。





まずこのアードベッグはアイラの中でも一番スモーキーな物だと認識しています。

ここでスモーキーと表現するが、一般ではよく「臭い(くさい)」という表現をされる。
確かにこのアイラ島特有のヨードチンキのような感じがまるっきりダメっていう人が多くいるので、誰しもが楽しめる感じではない。
だけど「臭い(くさい)」は違う。
かといって「スモーキー」も何だか気恥ずかしい。
しかしどうもこれしか当てはまらない。
決して臭くはない。
泥炭をいぶった臭いが強いだけだ。

そしてさらに脱線するが、「臭い(くさい)」と「臭い(におい)」が同じ漢字で使われている事に日本語の最も欠陥した部分を感じる。
これはヒドすぎる。
「匂い」、こっちの漢字もあるが、これはかぐわしい花とかの良いニオイの印象がある。
だけどウイスキーのニオイは何でかわかないけど、こっちの感じではない。
やっぱり「臭い(におい)」の方だ。
だからもう一個、こういったマニア向けに対するニオイの漢字が必要だと思います。

話は戻って、アードベッグのボトルは少し大きめでずっしりとしている。
無骨な男の飲み物って感じです。
確かバキの作者もこれを飲んでいたような。
で、値段はずっと5,000円と言う認識でいた。
だから少し贅沢品としての扱いだったが、今は4,000円と思っていい。

5,000円と4,000円の差はかなりデカい。

一気に高級な路線からはずれた感がある。
でもまあ、まだこれは全然いいほうで、





次にボウモア。
これは値段が上がった。
昔は3,000円を少し越えたり越えなかったりと言う親しみやすい値段だったのだが、4,000円となるとフラっと寄った酒屋でついで買う感じではなくなる。
あと、ボトルと箱のデザインが何年か前に変わった。
以前のはフツーのつまらない一般的な形だったが、かなり手の込んだ美しいデザインになった。
これはこれでいいんだけど、以前のあのネイティブなフツーな感じが歴史を感じさせた様な気がしています。
そして少し味が変わったような感じもする。
どうもボウモアの蒸留所はサントリーの完全子会社になったようで、少しスモーキーさが薄れたような感じがするが、、気のせいかな?





そして僕が一番美味しいと思っているウイスキー、ラガヴーリンは逆に値段が下がっている。
これは9,000円〜10,000円という価値だったので、相当気合い入れてどうしても飲みたいと思い込んで買うしかない。
だから今まで2本しか買った事がない。
だけどここまで値が下がると、その(僕の中で)一番高価なウイスキーという王の座が揺らぐ。
といっても最低6,500円くらいなので、まだまだなかなか手が出ない。
そして買ったはいいが、どうもガブガブと飲めないからすごく気を使うのがイヤです。




そして一番驚いたのがラフロイグです。
これはもう下手したら倍の値段くらい変わっている。
昔は3,000円いかない感じだったので、いつもこればっかり飲んでいた。
だから認識としては安いけど美味いシングルモルトだったし、迷った時はとりあえずラフロイグで間違いないという安定感もあったのに非常に残念です。

でも僕のウイスキーの印象をガラリと変えてくれたのは紛れも無くこのラフロイグであったので、このぐらいの価値があってもよしという思いもあります。

そして今、調べてわかった。
ラフロイグもサントリーに吸収されて子会社になっていた。
サントリーの言い分としては原材料や蒸留所から港までの運賃が高騰しているといった感じでごまかしている。(ような気がする)
他に知っている銘柄としてはスキャパ、グレンフィディック、マッカランまでも子会社化されていた。
恐るべし日本の大企業、サントリー、、。

ニッカウイスキーもアサヒビールの子会社だし、ウイスキーだけで行くというのは厳しいのでしょうか。

とにかく何が言いたかったっていうと、ラフロイグが高い!っていう事です。










2015年12月14日月曜日

受け入れる

母さんとたまに手紙のやり取りしています。
僕は紙媒体の手紙を送るのも貰うのも好きなので、現在となっては貴重な文通相手と言えます。

この前もらった手紙では、母さんが飼っているネコをいつものように風呂で洗い終わった時、一度試しに湯船に入れてみようと試みたそうです。



16年くらい飼っているのに今まで一度も湯に入れた事はなかった。
一番の不安は暴れて引っ掻いたりしないかどうかだ。



もうかなり年をとった猫なので持ち上げて湯船に持ってくるまでは比較的おとなしかったそうでしたが、



怖いのでそーっとじょじょに湯に入れていった結果、




静かに目を閉じたそうです。






そしてその後も湯に浸かっているあいだはずっと目を開ける事なかったらしい。
手紙を持ちながら一人で少し声を出して笑ってしまった。

ネコで16年と言えば人間で80歳を越えている年齢だ。

「諦観」とは現状を受け入れる潔さの事を言うが、そんなものをまさかあいつから感じる事になろうとは。

動物ってやっぱりちょっとカッコイイね。







2015年12月11日金曜日

忘れっぽい

夜のうちから忘れない様にゴミ袋を玄関に置いておいたのにも関わらず、朝持って行くのを忘れるというのを繰り返しています。



そして帰宅してドアを開けるまでその事を気づかない。

老化ではありません。
年齢を重ねると考える事が増えるのです。
このまま下位装備をレベル上げしないで上位に行くとか、野坂昭如と言えば結局、浜ちゃんへのガチ切れかなーとか。








2015年12月10日木曜日

マカロニケース

やっと届いた。
マカロニほうれん荘のIPhoneケース。




一度iPhone6のサイズで注文してしまい、間違った旨をメールで送ったら、秋田書店から「わかりましたiPhone6Plusのサイズに変えて発送します」と言う返事が返ってきた。

それが10月の終わりで、そこから待てども待てども音沙汰がなかった。
ひょっとしてキャンセル扱いになってしまったのかと思っていた。
衝動買いみたいなものだったので、すぐに熱は醒めて、もういいやになっていたが、つい最近メールが来て「発送しました」と言ってきた。

1ヶ月以上待たされたが、来るとなってはすごく楽しみになってくるもんで、手元に届いて見るとケースとしての完成度が高くすごく気に入っています。
表面はちょっとザラっとなっていて、色が落ちたり傷がつきにくい仕様になっていました。

送料含めて3,000円くらいしたけど、常にキンドーさんやトシちゃんを感じれるのは気持ちが楽になります。

色々絵柄があったのですが、これが一番ネイティブな鴨川つばめの絵だったのでこれにしました。

この人は時期によって絵が違います。
これは一番良い時期のやつです。





2015年12月9日水曜日

読書する女

「読書する女」という映画を見ました。


ツタヤが選ぶ映画100選的な感じのコーナーにあったものです。
このコーナーの映画は面白いので結構ここから借りています。

しかしこの映画はちょっと前衛的でとっつきにくくて、すぐに飽きてしまった。
何度ももういいかなと思った。




ただ途中でところどころ脈絡のないエロいシーンがくるので、ついつい見てしまう。
結局次のそれ待ちの状態で最後まで見てしまった。
こういう風にちょこちょこエロを挟んでくるのはズルい。

あと家具の配置とか色とかすごく洗練されているが、どうもこういったミニマルすぎるデザインが性に合わない。
内容も結局何を表現したかったのかがわからない。
ネットでも調べたけどこれといった結論もない。
おそらくモーバッサンとかマルキドサドとかフランスの本を知った上でないと楽しめないというのもわかるが、わかってもどうでだろう?と思う。
ようは何かこのフランス的な芸術のプンプンした雰囲気が嫌いなのかもしれない。

でもこう言った作品は結構後から変な感じで記憶の奥底から出てくるもんで、あまり選り好みせずに映画は見たほうがいいと思います。










2015年12月8日火曜日

すぐる

モンハンでフレンド登録した人の集会所に行ったら「よう! 久しぶり!」と言われた。


「そうだね」と答えておいたが、「すぐる」って誰よ?

「今回も手伝って下さい」と言われたから「もちろん!」と言って3DSをたたんだ。
フレンドを一人なくす事よりも見たいテレビが上回った。

半分以上のフレンドが今回のモンハンクロスをやっていないようだ。
きっとみんな大人になったんだなー。

2015年12月7日月曜日

M-1 2015 終了

M-1が終わりました。






結果は非常に残念な感じになってしまった。
友人と酒を飲みながら見ていたのですが、絵の様にふたりともひっくり返ってしまった。


一つは敗者復活からの優勝だったので決勝に選ばれた8組の価値が下がった。
もう一つはM−1は見た目も大事だけど、しっかりネタが面白いコンビを優先して欲しかった。
努力すれば1,000万円穫れるという感じが薄れてしまう。

とは言ってもトレンディエンジェルは一般審査である敗者復活から上がってきたので、世間の大多数が面白いと思ったコンビなのです。
最後まで争ったとろサーモンに決勝に行ってほしかった。
「とろサーモン! とろサーモン!」と願っていた。
個人的にはポイズンガールズバンドに頑張って欲しかった。


僕的にはやっぱりジャルジャルが一番面白かった。
次にメイプル超合金。
そして馬鹿よ貴方はかな。

メイプル超合金は左側の女性がキャラ負けしないしっかりとしたツッコミだったので驚いた。
そしてコブラが好きだからあの赤い衣装を着ていると言う右側の男性も驚いた。
なんでしょう?あのどこか心あらずと言った余裕な感じは。
やっぱり余裕がないと笑いは生まれない。
少し舐めているくらいでも見る側としてはいいのです。
面白い状況をすぐ作れる雰囲気がある。

馬鹿よ貴方はも面白かった。
賞は取れないかもしれないけど、あれでいいと思う。
ちなみにネタ考えているのは左側のツッコミだそうです。
あれが全部計算された間だと思います。

あとは敗者復活から28組全部見たけど、どれもすごいレベルでした。
まさに漫才師のトップが集結したって感じ。
そして決勝に残った8組はやっぱり頭一つ抜けているとも感じた。

その全部見た中で一番ないなと思っていたコンビの一つが優勝だったので、繰り返しになるが残念だった。
でもネットの評価を見るとほとんどの人が納得しているようで、だったらやっぱり正解なのかと。

審査員は色々賛否両論あるけど、僕は良かったと思います。
おそらくプロが見る以上、誰がやっても同じ結果になったのではないかと思う。
点数も大体似ていたし、言い換えれば彼らだって選択肢がほとんどないと思う。
それよりM-1王者達はまだまだ目がギラギラしていた。
そこら辺も今回は面白かった。
ちょっと見た目は老けてしまったけど、情熱たるや全く衰えていない。
漫才の頂点という称号。
それをずっと背負っている怖さすら感じる。

残念ではあったけど、コンテストなのでとにかく結果が全て。
あらゆる事柄を味方しなければ穫れない。
全てからまんべんなく選ばれなくてはならない。
選ばれなかった多くの人が悔しい思いをする分だけ価値がある。

M-1は面白いよりも熱さを感じる大会であって欲しいです。