2016年4月28日木曜日

カオ

舛添都知事が、公費の無駄遣いや、都庁の不在時間、などなど、最近何かと叩かれています。



でも、もう、ハッキリ言うしかない。












まず、この事をしっかり解決してからでないと、僕も正確な判断がつきません。














2016年4月27日水曜日

ライトニングケーブル

ライトニングケーブルが切れた。

2本所有しているが、1本は会社用で、もう1本は自宅用だ。




















今回切れたの自宅用で、iPhoneからケーブルを抜くときいつも根本ではなく、線を引っ張ってとっていたのが原因です。

























だけど、根本の方は、けっこうツルツルしていて、つかみにくい。
だから、きっと僕のように、断線してしまった人は多いと思う。

そして、これが1,800円くらいするので、おいそれと何度も買うわけにはいかない。
もう過去5本くらいは買っているし、また買わなくてはならないから、1万以上出費している事になる。

アマゾンで安いケーブルを購入しても、すぐにアップデートされて、使えなくなるので、まったくあこぎな商売だ。

スティーブ・ジョブスはデザインとは「どう見えるか」ではなく、「どう機能するか」が問題だと、すごく気持ちの良さそうな言葉を言っています。






































実際には、そうでない場合もあるように感じますが、最終的にはそうであってほしいと、僕も思っています。
だから、たまに使い勝手の悪い物に触れると、いくらいいデザインでも、一気に醒めます。

そこで、今回のこの断線問題に、僕は提案します。
ほんの少しでいいから、根本に引っかかり部分を作るべきだと思います。

このちょっとした物をつけることによって、使う方はすごく便利になるし、すごく売れると思う。

あと、このアイデアは僕に所有権があります。
売り上げの20%、いや、10%でいいかな、いただきます。





































結局、見た目はどうでもういいです。
1,800円はもう払いたくないだけです。

































2016年4月26日火曜日

いやいやいや!

最近読んでいる本がインドが舞台で、インドの独特な社会を少し知る事ができました。

本の内容とは関係ないのですが、関連してちょこちょこいろいろ調べているうちに、やはりこの人、





マハトマガンジーに行き着いたりします。
世界の偉人トップ10にはすぐに入ってきそうな人で、やっぱり「非暴力、不服従」が有名であり、とてもわかりやすい。

とにかく植民地政策をしてくるイギリス人の言う事は何をされても従わないというのが革新的な考えだった。
銃で撃たれて倒れても次の後ろの者が立ち上がるという、屈しない勇気は、撃つ方の人間としての品格を問われる事となる。
だから、この方法は、文明的な人間には効果的であって、蛮族とかには通用しない。

まあ、このようにガンジーといえば、誰でもこんないいイメージを持っているのだが、一つモヤモヤする事がある。

彼はインドの風習なのか、なんなのかわからないけど、13歳で結婚している。
そして38の時に禁欲を宣言する。

つまりもう故意による射精はしないという事でもある。





だけど晩年













複数の若い裸の女性と寝ていた事実がわかってしまいます。
その若い女性の中には二人の姪や厚生大臣などがいた。

菜食主義、資産は持たない、禁欲、などなど、ワールド・オブ・ストイックの象徴である彼がまさか、まさかの、こんな事をしていたなんて、、。

もちろん弟子は問い詰めた。

はじめは否定していたが、そのうち、



と言ってきた。

実験とは彼の行っている「ブラフマーチャリヤ」というヒンドゥー教の教えの事で、とにかく禁欲により、宇宙的真理に近づく教えだ。


だけど、、苦しい、、。




どうやっても、これは、いかん。


このままでは、彼の偉業が、すべてモヤモヤと釈然としないものになってしまう。
でも100歩ゆずって、いや1000歩ゆずって、その若い女性たちにたいして、性行為をしていたのか、していないのか、が問題だ。




























との事で、欲情はしていない。

以下、彼の言い分。

私にとっては女性に触れぬことがブラフマチャリヤなのではない。今していることは私には新しいことではない。……実験の前提に女性の劣等性があるとお考えになるとは驚かざるを得ない。もし私が色情を持ちあるいは相手の同意なく女性を見れば、そのとき女性は劣等者であろう。私の妻は私の欲望の対象だったとき、劣等者であった。私の隣に裸で妹として寝るようになってからは、彼女はもはや劣等者ではなかった。かつてのように妻ではなく他の妹であっても同じことではないか。隣に裸で寝る女性に対して私がみだらなことを考えるなどと思わないでいただきたい。


なるほど、、、





そういう訳か、、。
さすが元弁護士。
















いやいやいや!





ん〜と、、



いやいやいや!





「妹のようなもんだから問題ない」って、すんごいむちゃくちゃな。
というか、妹ならもっとダメだろ。

不服従。
これは裏を返せば頑固者という事でもある。

結局、暗殺されて死ぬまで、色欲であるとは認めなかった。



ただ、思うに、、本当の、本当の、真実を探求するのであれば、避けられない事なのかとも思います。

最近の乙武さんの事もあるし、思想や人間性と一緒に考えてはそもそもいけないのだと、僕は前々から思っています。



きっと。










2016年4月25日月曜日

動かない

なぜか朝の4時に目覚めて、iBookでなんとなく開いた小説を、ズルズルと一日中読んでしまった。
iMacの画面で読んでいたので、読書の佇まいも変わってしまった。
































この体勢でほとんど動かないので、見た目はすごくつまらない休日です。
だけどほとんど疲れなかったので、紙の本で下むいて読むより断然いいかもしれない。

読んでいたのは皆川博子の直木賞受賞作「恋紅」。
現在80歳を超えてまだまだ精力的に創作をなさっているそうで、作品に触れて、このタイプはなんとなくそうだろうなと思った。

だけど、こんなすごい作家がいるとは知らんかった、、というか別に他の作家も知っているわけではないけど、最近外国人作家ばっかり読んでいたので、この生き生きとした日本語の文体はとても新鮮だった。

まあまだ小説はどっさりもっらったのがあるんで、読んでいきたいのですが、この程度の長さの本を1冊読むのに大体休日1日使うと思っていい。
それはそれで有意義なことであるんだけど、まさか早朝に何気なく目を通した本を夜中になっても読んでいるとは思わなかったし、ごはんを作る以外、全く動かないので何にもしなかった感が半端ない。













2016年4月22日金曜日

ますます

マイケルスタイプを2011年のバンド解散以来ひさしぶりに見ました。


ヒゲをモクモクと生やして、ますます気持ち悪くなっていた。

何でも共和党のトランプ氏が演説に登場する曲にREMの世界が終わる日の使用したとかで怒っているとの事です。

政治色の濃いアルバム「グリーン」を出した時は大統領選挙投票日にリリースした という過去を思い出した。

あの時はブッシュ(父)を猛烈に批判してたし、昔から共和党が大っ嫌いなんだとちょっと懐かしくなった。

バーニーサンダースの応援演説にも行っているみたいだし、僕もサンダースを支持しているからちょっと嬉しかったです。
あと、好きな小説にヴォネガットのチャンピオンの朝食を挙げていた事も嬉しかったです。

というか、毎日何やっているんだろう。






2016年4月21日木曜日

一番奥にあるもの

日々、何か捨てれる物はないか、検討しています。

そして無くなっても踏ん切りがつく大物を特に探しています。
昨日はクローゼットの奥の方で謎のみかん箱があった。
これは期待出来る。
捨てれたらきっとすんごいスッキリしそう!



開けると白土三平の漫画がぎっしり。
































別に集めたわけではないが、自然と増えていったものだった。
確かにこれは一番奥にあってもいいものだ。






す、す、す、、











捨てれない、、。



でもこれが捨てられないようではきっと増える一方なんだろうな。






2016年4月20日水曜日

捨てる覚悟

服を捨てる基準というのがあるそうです。

・シーズン中一度も着なかった。
・体型と合わなくなった。
・全体的に古い。

などなど、、これらに当てはまれば即すてていいと言う。






































でも、捨てられない。

ちょっとした思い出の淡い光がチクチクと邪魔する。

さっきあげた3項目に当てはまるものと言ったら、僕のクローゼットの中はもうほとんどそうなのではないかと思えてくる。

1シーズンどころか、3シーズン、いや10シーズンも着ていないものがある。
そんなものは絶対これからも着ない。

確実に明日は着ない。
明後日も絶対着ない。

それはわかっているのだが、さきほどもあげたその服にまつわる思い出や、買った当時けっこう大枚はたいて買ったという思いがとどまらせる原因だ。

ただ、あったとしても、ふだん僕の生活を邪魔している訳ではない。
ほんの少しだけ空間を圧迫しているだけだ。
何も悪くない。

詳しく区分けすると、捨てない理由の大原則の一つ、「失ったらもう戻ってこない」これがある。
それに対抗するのが捨てる理由の「いい加減、もういいだろ、、」だ。






でもこの「いい加減、もういいだろ、、」「失ったらもう戻ってこない」に対してどうも弱い。








これにはもう一つ仲間を加えるしかない。
「スッキリした!」




捨てて気分が軽くなった爽快感で少し強くなったが、なんかまだ足りない。











「俺、これを捨ててやったわー! 」
























こいつだ。


この潔さと未練などない気前の良さが人間的成長を実感できる。
そしてようやっと彼を加えてなんとかって感じになる。













だけど「でも〜、やっぱり別に捨てなくてもいいか〜」という、根本的に面倒くさいという匂いを漂わせてヤツが助けにくるといつもすぐに形成逆転になる。


































全ての問題を「保留」が一番いけない。
考える事を放棄している。


でもまあ、とりあえず今日は保留で。











2016年4月19日火曜日

ゴロっところがるやつ撤去

引っ越し時に買った丸いテーブルを撤去した。



机を購入してから一度も役に立った事がなくて、ずーっとスペースだけを占領していた。
だけど高かった買い物だけにどこかにしまうのが忍びなかった。

どこかにしまおうにも、かなり大きくて丸いので、壁に立てかけてもまるで役目を終えるのをこばむようにゴロっと転がった。

非常に扱いづらいやつだと気付いた。

結局、奥の寝室に持って行き、足を広げてふつーに今まで通りテーブルとして置いた。
そして布団をたたんで置く台というおざなりの仕事を与えた。









2016年4月18日月曜日

CDの帯

昔からCDついている帯をとってあるのですが、




数えたら全部で144枚もありました。
中には3,000円のものや、ジャズでしたら1,000円のものもあるけど、大体30万円くらいは投資してきた事になります。
ちなみに僕の中でCDの値段は2,600円というのが定番でした。

中には帯だけ残っていて紛失したのか、手元にないものも数多くあったので、購入した時のぼんやりした思い出とともにせつない気持ちが流れました。

最近はダウンロードで曲を買っている人が多いと思いますが、歌詞やライナーノーツに続き、この帯を見る楽しさも無くなっていると思います。

帯の楽しさはやはり大風呂敷を広げたキャッチコピーを見る事です。

・時代は彼らにほほえんだ!
・今世紀最大の問題作!
・あなたは歴史の証人となる!
・誰だれと誰だれが出会った幻のアルバム!
・〜から何年、前作を上回る最高傑作!

などなど、この布団にかぶりながら大声を出している感じが大好きです。

実際CDを買う時に最後の一押しがこの大げさな一文だったりする。
CD一枚で気分がガラっと変わったり、その後の人生の帆先の方向が少しズレたりなんて事もあるので、いつも潜在的に過剰な期待をして買っていたかもしれない。





そんな隠れた若者の情熱をうまくすくい取るビジネス。
そして買って帰って来たらそんな言葉なんてすぐに忘れている中途半端な淡いユートピア。

そういった洗脳ビジネスがiTunesなどのネットでは全くない。
実際の物として手で触る自分だけの秘め事みたいな幻想をいだかせてくれない。
あるのは冷静で客観的な消費者の★の数だけだ。

鶴田がバックドロップをする時、技を受けている川田が軽くはずみをつけてジャンプしているのはわかっていた。





でもこういった数秒のモヤモヤはハッキリと意識の言葉になる前に脳内のユートピア警備隊によって抹殺してきたのです。
CDの帯にかかれたてきた謳い文句は鶴田の芸術を完成させるための川田だった。
だから数は絶対的に少なくなってきたけど、世の中にまだ生き残っている川田は非常に弱い生き物なので、できるだけそっとしておいてやって欲しい。

そしてこの絶滅危惧種はヤラセにとにかく敏感な昨今、だれも保護の方向には向かっていないのが現実であり、たとえそう言ったものの良さを残そうと言う気持ちがあっても、わかった上で対処するのはすでに気持ちが少し醒めている。

もともと面白味という付加価値なので、その味、というかウソがなくなったら文字通り味気ないものになるのは当然だ。




一番最初に買ったCDの帯はこれです。
「ロック美学! 不滅の金字塔アルバム!」
そうです、このテンションでないと!






2016年4月15日金曜日

マミー

マミーにハマっていて、しょっちゅう買いだめしてます。




















だけど買いだめしたのを忘れて追加してしまう事がよくあります。
まあ、すぐ飲んでしまうからいいんだけどね。









2016年4月14日木曜日

薬指

左手の薬指の爪が欠けた。
触れればちょっと痛いのだが、10本ある指の中で左手の薬指はひょっとしたら一番使わない指かも知れない。


















と、思っていたのだが、キーボードでコマンド+オプションとか、シフトとかを押す時の指が今まで中指だと思っていたが、以外と薬指で押していた。
押すたびにチクチク痛いから、かなり頻繁に使っていることにも気づかされる。
むしろ中指はほとんどなにもしていない。














じゃあ、右手の薬指はどうかというと、これはもうマウスを握る時の右側大臣だから重要なのはわかっていたが、リターンキーを押すのがほぼこの薬指だと気付いた。

薬指、名前が一番マニアックだから、ゴレンジャーでいうところの緑的な扱いだったが今回の発見で随分格があがってしまった。

それでもこの左手の薬指はやっぱり使い道がないように思う。
必死に考えたが、この指がなくては困るという事が全く浮かばない。

だけどこんなくだらない事に頭を使うこと30分くらいして見つけた。

グワシ。






















右手ではできないけどなぜかちょっと傾斜しつつも左手の薬指は上がります。
小学生の頃、グワシができた時はすごく嬉しかった事を思い出します。

ちなみにこの発音に意味はないそうです。











2016年4月13日水曜日

チンケ

今朝、早朝4時くらいに


外で何かドアの開く「キィィ〜、、、」ていう音が鳴った。

でも何か違和感があった。

何というか、この世とは別の世界から鳴っているように思えた。

そして誰かアパートの階段を上る音が聞こえた。



この時点でかなり怖かった。

そして体が動かなくなった。

これで異世界の野郎確定だ。
きっちりこの忍法だけはかけてきやがる。

これはもう確実にこっちに来るなとわかった。





やっぱり来た。

驚いたことに鍵がかかっているはずの玄関のドアを開けやがった。
恐怖はもうマックスに達した。

そして堂々と躊躇せずにやっぱり寝室のドアも開けて入ってきた。





しかし、この時僕は恐怖より怒りの方が増していた。

思えば幽霊だかなんだか知らないが、いつもあちら側がイニシアチブを取っているのが腹たつ。
そしてこっちがビビるであろうという堂々とした余裕な感じもムカつく。
もちろん勝手に入ってきて貴重な睡眠時間を削る行為も許せん。

などと、半分怖いんですが、半分こんな感じで恐怖を怒りで克服している事がけっこう嬉しかった。
だから今回はいけるという手応えをひしひしと感じていたが、奴は抜かりなく金縛りをかけていた。




そして僕の寝ている布団に両手を添えて揺らし始めた。
はじめはかなり焦ったが、


なんだよもう、揺らすだけかい!



と、このスケールの小さい行動にまた怒りパワーがグングン上がってきた。

もっと囁いたりしてビビらすとかしてこないのか!



でも声に出そうとしても、声がでない。

出てもほんと小さい声で実際音になっているかなっていないかだった。
しかもそのかぼそい声が相手にビビっているという印象を与えていると思ったらなおさら腹が立った。
何と言っても今回の僕は怒りにより気が充実している。
負ける気がしない。

よく考えてみれば、まず金縛りにするのだからまったくもってフェアじゃない。
とりあえずこちら側にこのロックをかけてからでないと近寄ってこれない奴なんて幽霊だとしても生前大したことのないやつに決まっている。


そして思いっきり力をいれた何度目かで、ようやっと解放された。













とびきり大きい声で

ラ〜!」

というと同時に上半身をあげた。
それでも最初の「コ」はうまく出なかったので、ちょっと恥ずかしかった。
もちろん奴にたいして。
















しかし誰もいなかった。






すごく寝汗をかいてて、カーテンからこぼれるすがすがしい朝日が顔にあたった。

勝った…。
だけど何にも達成感がない。

そしてトントントンという階段をおりる音が聞こえた。

この体験はたぶん僕の夢と現実のはざまでおこったものだと思う。
いずれにしてもチンケな奴がチンケな独身男を襲ったチンケな出来事だった。

もっと言えば隣に住んでいる人はきっと僕の「コラ〜」が聞こえたと思う。
朝からトチ狂ったチンケな隣人というジャンルも増えたことだろう。

とにかく何にもいいことがない。

何か、くるにしてももっとランク高めの奴がこいや。
こんなのが来るようでは僕も大したことないと思わざる得ない。
何だか自分の存在にケチがついたようで、思い返すとやっぱり非常に腹立たしい。

そんな事をグダグダ考えていると会社に遅刻しそうになった。
どうせ今朝きたやつはこの世をさまよって働いてすらいないんだろう。
そう思うとまた腹が立ってきた。




2016年4月12日火曜日

結果論

「結果論」と言う言葉がある。

だいたい、というか、ほぼ悪いイメージで使われるが、どうも違和感を感じます。






























特にプロ野球の解説で見ていてよく目にするのですが、結果を見てから「やっぱり、ああするべきだった」というのが結果論と言われ、後出しじゃんけんのように誰でも言えるズルい考えという意味で広く使われているが、これがそもそも間違いのような気がします。

そこで「結果論」の反対語として「方法論」というのがある。
これは結果は気にせず勇気をもってどんどんチャレンジしていこうみたいな良い印象のように語られる。

つまり、
内容重視。
おのずと結果はついてくる。
考え方に幅を持たせる。

などと、これはこれで実に良い考えで、やってきた努力に対しての慰みになる。
ただ「やっぱり、ああするべきだった」と言った人に対して「いや、それは結果論だ」と言ってしまうちょっとカッコつけている人がどうも嫌いです。

「やっぱり、ああするべきだった」と言った人の言葉はただの「後悔」であって「論」ではないです。
結果論は「結果を重視して次に同じ過ちを繰り返さない」ようにするという、単純な学習能方法であって、これでようやっと「方法論」と対等になれると思います。

今回の「いや、それは結果論ですね、ベンチ(監督、コーチ)の考え方は悪くないです」というのは逆に巧妙な結果論だと思います。
なぜならそれも「その悪くない考え方を信じた」という結果だからです。
むしろすこし曖昧にして濁している分、ズルいかもしれない。

この時、結果論と言われた解説者は自分の発言を恥じていたが、その思わず出てしまった「やっぱり、こうすべきではなかった」は論でも何でもなく、実際そう思っていたから出た感情の範囲なのです。

「方法」も「結果」もどちらも大事です。
ただ「こうすべきであった」は後悔の念であって結果論と断罪してしまう風潮に物申したいだけです。

「こうすべきであった」
別にいいじゃないですか。

ちなみに後悔の念を発していたのはガンちゃんこと岩本勉さんです。












2016年4月11日月曜日

性の悩み

昨日見たバリバラは性の悩みというテーマでした。
障がい者の性を取り扱うなんて乙武さんが賑わせている事だし、すごいなーって思って見たのですが、今回は障がい者ではなく、「性同一性障害」の方達の話でした。
でも「障害」ってつくのか。
しかもこっちの方の「障害」は「障がい」でなくていい感じなんだな。


北海道は枝幸出身の万次郎さんという芸人が取り上げられていた。



体は女性だけど心は男という方で、番組の内容としては故郷の両親や同窓会に出て昔の級友と会ったりします。
何となく網走にも近いし、あんな所からよく出て来たなーって、自分だったらどうなるか想像してしまった。

性同一性障害というのが本当にあるのか?っていうくらいあまり理解できていない僕ですが、もし自分がそうだったらもう恋愛そのものを諦めるかもしれない。
そしてきっとこの障害を持つ方の中で、そう言うふうに諦めた方も多いのではないか。
全体的に言える事は人生は短く、いつもその問題を処理してからのスタートは非常に疲れそうだなって事です。

ゲイやレズの人達の討論会みたいなものもあったが、




ゲイの方達はゲイ=(イコール)肉体関係という図式で見られるのが嫌だと言っていた。
そしてレズと比べて汚いイメージを見られるとも。

でもそこがまさに男と女の違いかもしれない。
問題はやっぱりそこに笑いがあるかどうかだと思う。
男は笑えるが、女は笑ってはいけない、というか、どうしても面白くならない。
端的に言えばまだゲイの方がまだふところが深いという事かな。
恋愛にしても男が女に振られた話は笑えるが、女が男に振られた話は悲しい感じになってしまう。
だから今回取り上げられていた万次郎さんは舞台のネタで「性同一性障害あるある」みたいな事をやっているらしいが、元が女性なので僕はどうしても笑えないかなあと思う。
むしろそれはナシでやってほしい感じがします。
別に笑える笑えないの話ではないのですが、これからいくら時間が経ったってこの問題はあるし、障害というより、好みの問題なので体は健康で不自由ないんだから、大した事ではないと思ってしまう。

これは男の僕の目線だからだかも知れない。
やっぱり偏見もあるのだろう。
でも申し訳ないけど男同士はどう考えたって笑ってしまうかな。


この考えも将来的にもっと厳しく規制されるのかな?
だとしたらチャップリンのクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇という都合にいい言葉に助けを求めたいです。

あと、いったん自分がゲイなりレズビアンだと公表して、ごめんやっぱりどうも違ってましたって言う人もいるのかな?



その場合は周りも「もうどっちでもいいわ」ってなるかもしれない。
突き詰めれば、誰も他人の「好き」の温度や種類を知っているわけではないと言うことです。

そしてなんと、来週のバリバラは今度こそ障がい者の性欲の話です。
最近の乙武さんの事もあるのに、たまたまなのか?
どっちみちこの問題をテレビで取り上げるのが出演する方を含めていろいろとスゴい。
すごくいい番組だけど、今度のはかなりデリケートなテーマだから大変そう。
だけど楽しみ。
きっと色々と考えさせられると思います。




2016年4月8日金曜日

お天気お姉さんのあり方

おはよう日本のお天気お姉さんを長らく勤めていた渡辺蘭さんが辞めました。




絵の方はかなりぽっちゃり目で描いたけど、大体こんなんです。
これは辞める直前の最終形態の渡辺さんです。

まず、基本的にこの番組のお姉さん枠というのは3つあって、























まずはメインのしっかり者の和久田さん、キリっと健康的なスポーツの森さん、そしてぽっちゃりして優しそうなお天気の渡辺さんでした。

どのお姉さん(というかアナウンサー)もキャラの住み分けみたいなのがうまくいっている。
こういうところはさすがNHKだなーと感心していた。

特にお天気の渡辺さんはちょっと言い方が悪いけど、ゆるいおバカっぽい(実際は超頭いいんだけど)雰囲気がすごく良かった。
出勤前に見ると非常に心安らぐものがあったのですが、

昔の渡辺さんはこのように↓








非常に痩せていて、どこからどうみても美人という存在だったのに驚いた。
今回の降板理由が妊娠のよる出産を控えてとの事ですが、それにしても変わり過ぎだと思う。

なるほど、こんなに美人でも結局太るとそうでもなくなるのか。
思えば太ると美しくなくなるというのはどうしてなんだろう?
もし太った方がどんどん美しくなるというのであれば、世界中の豚や牛は大量消費によっていなくなるのだろうか。
いずれにしても食という快楽を得た分だけペナルティーが課されるシステムはこれからも永遠に変わりなさそうです。


ちなみに次のお天気お姉さん酒井千佳さんと言う人になり、これまた非の打ち所がない美人だ。





ただこの人は絶対太らないタイプだと思います。
そしてごくふつーに美人なので、すごくつまらない。
僕はやっぱりあのふくよかなおっかさん風の渡辺さんでないと癒されないようになってしまった。
おそらく妊娠どうのこうのより、その前から不覚にも太ってしまった渡辺さんなのだが、ただ美人を置けばいいという今までのお天気お姉さんのあり方を変えてくれる一助になったはず。
と思っているのは僕だけではない、きっと。

でも酒井さんも毎朝みるうちにだんだん良くなっていくんだろうな。
そして彼女が辞める時もブツクサ文句を言うのかもしれない。