2016年8月31日水曜日

コンスタンチノープルの陥落 6

コンスタンチノープルの陥落から少し道を外れますが、キリスト教についてある程度知識がないとこの事件を把握する事ができません。

これを扱うのは非常に面倒なのですが、一応、僕なりの解釈なので、間違っているところもあると思いますが、あやふやにしないで、言い切りのカタチで進めます。



キリスト教は大きく分けて3つの派があります。

・カトリック
・正教会
・プロテスタント




まずはカトリックがあって、東に首都を移した今回の東ローマ帝国から広まった正教会ができて、ずっとあとになってルターが起こした宗教革命により様々な派が表れて、総じてプロテスタントというのが現れた。

違いは、まず「聖書」と「聖伝」というものの立ち位置の問題なのです。

カトリックが「聖書」と「聖伝」は同じ扱いにしています。
「聖書」はそのまま聖書に書かれたものの事で、「聖伝」はキリストの弟子達や、そのあとに数多くの偉大な司祭の発言や行動といったものです。
なので、「聖伝」は現在進行形のもので、例えば今のローマ法王が行った事も聖伝となるのです。
避妊、中絶が禁止という信者も多い。

次に正教会。
正教会は「聖伝」の中に「聖書」があるという立場です。
つまりキリストが誕生して聖書ができたという事は聖伝の一つだという事です。
だから、聖伝に重きを置いている。
カトリックがマリア像に向かって祈るのに対し、そう言った偶像崇拝を禁止しています。


でもはっきり言って、どーでもいいような事がほとんどで、カトリックと正教会の違いはこれだと確定するような確かなものは実際ないように思います。
そのあやふやな感じだけにすごく根が深くなってしまっている。

ただ、性格的にカトリックは現実的であり合理的で、正教会は神秘的な傾向が強いようです。

そしてずーーっとあとになって出てきたのが、カトリックから別れでたプロテスタント。
これは色々あるんですが、おもだった派は解釈は個人の自由でも「聖書」に書かれている事が絶対で、書かれていない事は信じなくていいという立場です。
だから、聖伝は全部否定して、マルティン・ルターが最初にそれを大声で言って、殺されそうになり、それまでの腐敗した教会の癒着や利権を正した。
だからプロテスタントが一番縛りがなく、割と楽にキリスト信者になれるような感じです。

と言う風に、基本的にはイエスキリストの元、隣人を愛せという掛け値なしの博愛精神は変わらないのですが、解釈の違いというか、離婚する夫婦のように長い長い時間の中で少しずつ積み重なったズレであって、本来ならそんな垣根があってはキリスト教ではないように思うのですが、理屈ではない事が意外と大事だったりするんです。

仏教でも真言宗とか浄土真宗とか色々分かれているアレと同じです。

今回のコンスタンチノープルのある東ローマ帝国は正教会。
そして西欧にある国々はローマを中心としたカトリック教会なので、同じキリスト教であっても仲が悪いのです。

ですが、オスマン帝国はイスラム教であり、その異教徒に考えが食い違ってはいても同じキリスト教の東ローマ帝国が滅ぼされようとしているのです。

当然、コンスタンティノス11世は西欧側に援軍要請をお願いする。
目指すはキリスト教の東西統一。
それも、もうカトリック側が主導権を取っていいとすら言ったのに良い返事が来なかった。
その前にも東西統一は何度も実現されそうになったが、最後の方でどちらかのお偉い方が感情を爆発させて、無しになる。

つい最近でもこのようなカトリックと正教会の和解が進められたが、最終的には例によって聖書と聖伝、細かいところで言えば、様々な儀式やその時の礼とか仕草一つひとつが、譲れないという、イエスも呆れる器の小さい関係なのです。










だけどその頃、西欧の方でも大きい戦争が各地で勃発しており、自軍を守るので精一杯だったというのが東ローマ帝国を助けてやれない理由の一つだったし、オスマン帝国のメフメト二世は援軍が来ないという裏を取っているから攻めてきているのです。
























2016年8月30日火曜日

コンスタンチノープルの陥落 5

東ローマ帝国の最後を語る上で避けて通れないのが、宗教。
とりわけキリスト教がややこしい。

ローマ帝国というのはそもそもキリスト教を迫害してきた歴史がある。
国そのものに宗教というものはなく、日本と同じで八百万(やおよろず)の神という感じで、太陽、月、海、などギリシャ神話からくる様々なところに神というのが宿るというくらいの信仰だった。

ただキリスト教が徐々に入ってきてからは、国が急に弱くなる。
まず、一番の難点は戦わないということだ。
戦地に行くことを拒み、虐殺されても戦わないのだから、どうしようもない。

もちろんキリスト教によって救われた面も大きくあるが、全体的に「面白くなくなった」という印象がある。

実際キリスト教が入ってくる前の美術や文化などの方が生命力や躍動感があるし、ルネサンスという美術の革命もそう言った古代ローマ、ギリシャ文化の復活を目指したものだった。

そしてローマ帝国の歴史の中でも5本指に入る事件として、皇帝がキリスト教徒になったと言う事がある。
それまでキリスト教というのは国力を衰退させるものだとしていた認識だったローマ帝国がとうとうトップの皇帝が洗礼を受けてしまった。
その皇帝こそ西のローマから首都を今回のコンスタンチノープルに移したコンスタンティヌス1世。
もともとこの土地はビザンチウムと呼ばれいたのだが、彼の名をとってコンスタンチノープルと変えた。

それが325年。

今、終焉を迎えようとしている東ローマ帝国は1453年。

奇しくも東ローマ帝国最後の皇帝はコンスタンティヌス11世という初代と同じ名前だった。
この11という数字は何も歴代の皇帝が全部コンスタンティヌスという訳ではなく、本当にたまたまだったらしい。

































一般的に東ローマ帝国の終焉とローマ帝国の終焉は区別している。
その一番の理由は東ローマ帝国が完全なるキリスト教国家であったことです。

このようにキリスト教を語らずして、コンスタンチノープルの陥落は語れない。
だけどここで言う宗教というのはあくまで政治的に利用されている宗教であって、キリスト教自体はとても良い面がたくさんあります。

一般の人々の間で信仰されているささやかな感謝の気持ちのたぐいとは別物だと言っておきますが、この時代、東ローマ帝国はキリスト教と政治が密接に関わっていたのが結果的に滅んだ原因の一つだと思います。

























2016年8月29日月曜日

コンスタンチノープルの陥落 4

この3重になるテオドシウスの壁をオスマン帝国はどう攻略したのか?
現代の兵器を使えば戦車ででも大砲を撃っていれば壊れそうだけど、当時の最大の攻城武器と言ったら投石くらいなもので、少しは壁を損傷させるだろうけど、完全に破壊するのは無理だった。

ここで現れたのがハンガリア人ウルバンだ。
この本ではそれほど取り上げられていないが、彼は今後の戦争の形態を大きく変える事に成る存在だった。

彼がメフメト2世に会えたのはコンスタンチノープルの壁を壊せる方法を知っていると言ってきたからだ。
彼はまずメフメト2世率いるこのオスマン帝国に来る前に、キリスト教徒なので、東ローマ帝国の皇帝に会いに行ったが、相手にされなかったのです。

メフメト2世はまだ21歳と若く、考えが柔軟だった。
ウルバンが目の前である設計図を広げると、初めはよく理解できなかったが、説明を受けると徐々に興味を示し始めた。
そして東ローマ帝国の示した報酬の3倍を約束した。
それからメフメト2世は城攻略の希望を持てたのか、夜な夜な楽しみにしていた少年へのまぐわいも回数が少なくなったそうです。








ウルバンの巨砲と呼ばれるその大砲は砲身の長さは8メートルもあり、石弾の重さは600キロ。
そしてその巨大な石は発射される20キロ範囲に音が響き、飛距離は1キロ半も出る。
その発射実験を見たメフメト2世はまるで北朝鮮の金正恩のように喜び、直ちに量産を命じた。
そしてコンスタンチノープルの壁までの道路を再整備もした。
何しろ30頭の牛が左右に並んで引っ張らないと動かないのだから、道も相当頑丈じゃないといけない。








この大砲はこの時代はまだうまく扱えなかったり、頻繁に壊れたりしたそうだけど、この戦争の後、各国競って大砲の製作に取り掛かった。

城の形態も変わる。
それまでも直立の壁から、少しでも大砲の衝撃を少なくするためのなだらかな城壁が主流となる。

そして兵士も変わる。
それまでは頭から足の先まで重い甲冑で身を包んだ、戦いのプロである騎士階級の地位がどんどん下がっていった。
大砲の操作ならば、教えこめば誰でも出来たので、それまでの隊列を組んで長い修練を必要とした歩兵や騎士は、大砲を扱えるアマチュア軍団に次々と吹き飛ばされていくこととなる。

いつも思うけど、こうやって新兵器が出来上がってその威力も知らず、初めに死んでいった兵隊さんは一番報われない。

大砲は人間どうしで言えばピストルみたいなものだ。
力のない者でも銃口を向ければ誰でも言うこと聞かせれるという、新しい価値観が出来つつあったのです。















2016年8月26日金曜日

コンスタンチノープルの陥落 3

この戦争はオスマン帝国がコンスタンチノープルの城壁をどうやって攻略したか?が最大のポイントとなります。

海側からも攻めていますが、海上戦においては一枚も二枚もビザンチン側(東ローマ帝国、ヴェネチア共和国、ジェノバ共和国の連合)の方が上なので、トルコ(オスマン帝国)側としたら陸からの攻撃に重点を置くしかなかったのです。

だけど、3重の城壁は大きさや堅牢さにおいて、当時世界最高峰だったから、攻略は不可能と思われたいた。
実際、この壁は僕も読んでいて、やりすぎだろと思ってしまうくらいすごいものなので驚きました。

3重の構造となっているのですが、その一番外にある壁は正確な大きさはわからなかった。
でもおそらく二番目の内壁が8.5mの高さだから半分の4mくらいだろうと思います。

そしてさらに、三番目の壁の外に堀もあって、海水を引き込んでいたそうです。
でもこの時はもう国力の影響からか、枯れていてただの穴だったので、すぐにオスマン帝国軍に埋められた。










だから多分、始めの方は第3の壁で粘っていたけど、すぐに第2の外壁の方で防戦していたと思います。
ただ、ここからがオスマン帝国もかなり手こずります。
守るビザンチン側の戦力はヴェネチアとジェノバから少し兵力を協力してもらっても7,000弱。
しかもそのうち東ローマ帝国が出した兵士はたった2,000人だった。

それに比べ、オスマン帝国は10万。
この10万という数字は当時の人口からすれば突出したもので、この時代の戦争では兵力が3万も越えれば相当な大戦力だった。

この兵力というのはアジアとヨーロッパでは数の感覚が違います。
ヨーロッパの方では貴族のような特権階級が兵力として占めていた。
これはローマ帝国の影響で、普段の生活が豊かで政治にも参加できるが、いざ国を守る時は義務として戦地に行かなくてはならないという風習があるのです。
そして装備は重装備で、騎馬の技術など、まとまな兵士になるのはそれなりにハードルが高かった。
あとの足りない部分は金で雇う傭兵で構成されていた。
こういう理由で兵士の質は高く、少ない数でも強いのです。

だけど、遊牧民族の流れを組むオスマン帝国やモンゴル帝国の兵士はヨーロッパの兵士と違ってすごく軽装だったそうです。
そして野蛮さも違います。
だから動きが速いかわりに弓矢とかでどんどん死んでいったと思います。
そのかわり、次から次へと倒しても倒してもくるので、相手は疲労により大崩れするのです。
兵士も同盟の国から借りた兵士や、戦争で得た捕虜をイスラム教に改宗させて自軍にするやり方をしていた。
同盟の国と言っても兵士を出さなければ、攻められるから強制的に出しているのであって、その場しのぎの脅しに屈しているのです。
そして、貸した兵士は大きな戦争でほとんど戻っては来ないし、もちろん戦争が終われば、協力した同盟国はあっさりオスマン帝国に攻め滅ぼされる運命にある。






あと、オスマン帝国の兵士はよくわからないけど、袋のようなものを被っている。
あれが何の役に立っているのかわからない。
「オスマン帝国 兵士 装備」で調べたけど、詳しいのは出てこなかった。
でも何となく、トルコはヨーロッパの規律と遊牧民族の野蛮性がちょうど半々くらいなのが、装備にも表れていると思います。

そしてもし第2の壁である外壁が破られたとしても最後には高さ17mがあって、幅も5mある絶対的な内壁が待っている。

城を落とす場合、攻める側は3倍の兵力がなければならないと日本では言われています。
このテオドシウスの城壁は、たとえ7,000対100,000の兵力差があったとしても、もしかしたら対等だったかも知れません。


一応、、続きます。










2016年8月25日木曜日

コンスタンチノープルの陥落 2

当時のコンスタンチノープルは東ローマの首都だったのですが、かつての「世界の富の3分の2が集まっていた」繁栄もすっかりなくなり、滅亡の一途をたどっていました。

これは当時の勢力分布図です。
薄く紫の部分がオスマン帝国のこのあと増える領地の最大時です。









でも、コンスタンチノープルが陥落する時のオスマン帝国の領土は濃い紫の部分で、ボスポラス海峡の左側、ちょっと赤くなっているところが東ローマ帝国のコンスタンチノープルです。

すでに西のローマは滅亡して、ローマという偉大な名前を引き継ぐ国は最後ほぼこの小さな半島の一角だけになっていたのです。
だからこの時点でもう国という感じではないのです。
このかなり前の段階で東ローマ帝国は終わっていた。

さらに拡大するとこの通り。








コンスタンチノープルは街をグルっと全長で21kmにもなる城壁で囲んでいて、進撃の巨人のモデルみたいな都市です。
とくに陸側のテオドシウスの城壁は長さ6kmの三重構造になっており、その外には20mの堀まであるのです。
まさに難攻不落、誰もがそれを見たら攻めようなんて気力は急速に失ってしまう。
このガチガチの要塞は街の中で自給自足もできるし、いざ籠城となったらいつまでも守っていられるのです。

この頃、オスマン帝国には21歳になったばっかりの若い君主であるメフメト2世が新しい王となった。






先代の偉大なメフメト1世は戦場で先頭に立つくらい現場にいる勇敢な王で、自国はもちろん他国からも尊敬されていたが、後を継いだこの21歳の若者はかなりクレイジーな奴で、毎夜キリスト教の奴隷である若くてきれいな女や男(小姓)と交わったりとやりたい放題で十代を過ごす。
感情の起伏が激しく、先代の王が生きている時は幽閉されていたくらい問題児だった。

そしてメフメト1世が亡くなると行動は速かった。
すぐに自分が王になり、先代が躊躇していた1100年続いたこの都市を攻める事を決意する。

そこから彼は人が変わったように落ち着いた獲物をじっと見据える虎になる。

1100年と言えば、日本なら平安時代から現代の平成までの時間だ。
そんな由緒正しき歴史の幕を自らの手で落とそうというのだから、相当怖いもの知らずと言っていい。
タイプとしては信長みたいな感じで、まさかそこまでやらないでしょうと言う事を平気でどんどんやっていく。
ようは既成概念にとらわれない優秀な政治家だったのです。

上の地図で見るボスポラス海峡の一番細くなっている部分に要塞を作った。
ヨーロッパ側を「ルメリ・ヒサーリ」、アジア側を「アナドル・ヒサーリ」という。
元々は「アナドル・ヒサーリ」しかなかったのだけど、ヨーロッパ側にこれよりももっと大きな要塞「ルメリ・ヒサーリ」を作ったのだから、周りにいる国や、特に黒海で商売をしているヴェネチアやジェノバの商人はひどく怒った。
さらに莫大な通航料までとるようにしたので、もうここの時点で宣戦布告と言っていい。

だけど、間違っても暗い未来などだれが想像して生きていけるだろう。
自分の都合のいい将来しか見えないのが人間だ。
まだこの時点では商人たちや東ローマ帝国も様子を見ていた。
しかし「そこまではやらないでしょう」は逆を言えば「そこまでやれる」という事でもある。

海洋都市ヴェネチアはオスマン帝国に対して、これはお互い国同士でかわしている規約違反だとして抗議したが、メフメト2世は「海賊の取り締まりで公海の安全のため」とあからさまに嘘の大義名分を出してきた。

ヴェネチアに限らずライバル国で普段いがみ合っているジェノバもこの時は協力して
抗議していたが、ある日とうとう事件は起こった。

いつも通航料など払わず、海洋都市ならではの卓越した操作技術により両岸の要塞から放たれるオスマン帝国の大砲をかわしていた商船だったが、とうとう一隻が近くに落ちた砲丸の水柱にバランスを崩し、立て直す事が出来ず、次の大砲で船は大破。
船長、船員含め、水に飛び込んで岸まで泳ぎ切ったが、そこにはオスマン帝国の兵士が待っていた。






まあ、それでも脅しの大砲がたまたま当たったという事もある。





オスマン帝国とは本来、商船の通行は制限を設けないことで約束しているヴェネチアは、契約違反の大砲は咎めず、「助けてくれてありがとう、船員たちを返して欲しい」くらい下に出て使者を送った。
なんだったら、少しお金や財宝も持たせた。

だが、クレイジーな21歳の若者は、そんな使者を一蹴。
あっさり船長を串刺しの刑、船員30人は胴と脚部分を真っ二つにした。






国同士の約束とは何なのか。
この約束を破るということは、それはもう全ての国から信用を失っても構わないという、一番のストロングスタイルに入った事を言う。

現在、ロシアのウクライナの一部を奪った経緯といい、中国や中近東の方では今でも小さい約束を破っている現実がある。
ある日突然「そこまでやれる」を実行してしまっているのが人類の歴史なのです。
そしてこの時代も「戦争反対!」というデモは市民の間で起こっていたそうです。


とにかく、一方的なオスマン帝国の約束破棄によって、世界中は完全にメフメト2世の意思がわかった。
「1100年続いたコンスタンチノープルいただきます」と。



続きます。













2016年8月24日水曜日

コンスタンチノープルの陥落 1

最近、春先から読んだり読まなかったりしてた本をようやく読み終えた。


「コンスタンチノープルの陥落」
塩野七生

この人の本はローマ人の物語を読んだ事から色々と読んでいます。
また、僕が一番カッコイイと思っている女性でもあります。
女性の目線でありながら、すごく公平性に優れていて、彼女がそういうのなら、そうなのだと思ってしまう。
彼女とか言っておいて79歳のおばあちゃんなのですが、正確な洞察力にいつもしびれています。

自分なりにただ読み終えただけではもったいないので、ちょっと備忘録的にこのブログに書いていこうかなと思っていました。
まあ、一番は毎日書くネタにいつも頭を悩ますのに疲れたからです。

コンスタンチノープルという都市について書かれた本なのですが、この「コンスタンチノープル」って言葉知っている日本人ってほとんどいないと思います。
ものすごく歴史的にみても重要な都市なのに、知られていないと言う事は、知らなくても全然余裕で生きていけるという事です。
現在のイスタンブールといっても、え?あれ?イスタンブールってどこだっけ?という認識かもしれない。






この都市について語ると膨大な量になってしまうので、興味があったところだけ書きます。

まず、この位置がすごい。

黒海という海は地中海とつながっている。
その黒海と地中海からのマルマラ海をつないでいるのがボラポラス海峡で、海峡の左側の先端にあるのがコンスタンチノープルです。

改めてみると世界の中でもこんな大事な土地ってあるかなってくらいの場所だと思います。
黒海の出入りを管理できるのもあるし、周りは海流の激しい海で自然の要害だ。
一度占領された事もあるが、この地の理を利用して1100年という間存在した。

ざっくりと分けて、左はキリスト教、右はイスラム教がどこで別れると言ったら、ここになると思います。
トルコは99%がイスラム教で隣接するブルガリア、ギリシャもほとんどがキリスト教というのだからわかりやすい。
そのトルコの下には今一番問題というか、昔からドンパチやりつづけているシリア、イスラエル、イラクが連なる。
だからトルコという国はキリスト教にもイスラム教にも本当にしっかりとしてもらわないと困る国というわけで、この前起こったクーデターなどは実際かなり世界的に危なかったと思います。

そういう事からもローマ帝国の誕生、キリスト教の誕生、イスラム教の誕生、コンスタンチノープルの陥落、まで大まかに知ると、この世の成り立ちが少し見えて来るのです。

当然、日本人はこういう隣接する国同士の宗教観などの歴史がないから、いくら知識でわかっても血となり肉となって理解はできないと思います。
本当に何度も知識で入ってきても、「そうだったんだ」という他人事の域を超えない。

これはそんな世界で最も重要な都市がなくなる時の話なのですが、この都市が消滅した事により歴史は大きく変わっていったのがよくわかります。

正直、宗教もからんでくるので、一つの事を取り上げたら、芋づる式に様々な事を説明しなければならない。
面倒になったら突然やめます。
あと書いたそばから、どんどん忘れていきます。

一応、続きます。






















2016年8月23日火曜日

洗えない

実家に帰った時、長年愛用していた枕も持っていた。
これがないと寝れないとかで持ってきた訳ではなく、洗濯をしにきたのだ。

実家のでかい洗濯機ならきっとグルングルン回ってキレイなるだろうと思ったのです。
いままでアパートの浴槽に漂白剤を入れて1日漬けたままにしたり、無理矢理小さい洗濯機に突っ込んで回したりと、いろいろと試みてきたのですが、一向に匂いも汚れも落ちなかったのです。






そして乾かすにしても部屋干しなので全然乾かなかった。
だからきっと実家の庭先に炎天下の中置いていたらカラッカラに乾くだろうとも思っていた。

だが母さんは「それはもう、中身の羽を出さんとダメだ」と言ってきたので、そうか確かに枕表面のカバーはナイロン製で上っ面だけキレイにしても意味ないなと思った。

カッターで縫い合わせている糸を切って、慎重に羽を出していった。
それでもたまにバフっと小さい羽が舞い上がったりして、もう若干後悔していたが、母の洗うという意思は固く、やめることが出来なかった。







母の提案でネットの袋に羽を分けて洗濯機で回すこととなる。
羽は非常に細かく、鼻とかに入ったら危険なくらいフワフワと舞い上がった。
「これは確かに高いものだった」と母は息巻いていた。








羽はグースだったけど、もう20年以上も前のものなのに遜色箇所は見受けられなかった。
すげーな羽毛。
そしていざ洗濯機で回してみると、途中で母さんの悲鳴が聞こえた。
何事かと思って行ってみると、細かい羽がネットの網目から飛び出して、洗濯機にべったりと張り付いていたのです。






中止。

洗うの中止。


というか、もう、捨ててしまおうかと言ったが、母はその飛び出した羽を集めろと命令してくる。
ここまででもかなり時間がかかっているのだが、なんか意地になっていた。
洗濯機の内側にへばりついた羽を何度もこそげ落とし、水に浮いた羽を金網のボールでこれも何度もすくった。
そして再び網のネットに入れる。
網の目は細かく、洗濯機で回すと遠心力で飛び出たのだが、このネットの細い目から出てくるのに驚いた。
多少なりとも洗剤に浸かったので、もうこれは乾かす事にした。
かんかん照りの日中の太陽でこんなもの1時間もすれば、蒸発するほどに乾いてしまうだろうと思っていたが、急に通り雨が降った。


















3つに分けた羽毛はぐっしょりと濡れて、ほとんど水の塊になった。
今度こそ、もういいやとなったが、母さんは「いや、必ずうまくやる」となんか知らんが燃えていた。
そのあとも乾かし続けたが、うまく乾かなかった。
思うに、漁師とかが魚の日干しに使う網みたいに広くて満遍なく羽を広げて乾かさないと無理なんだろうな。

そのあとどうなったか、まだ母さんに聞いていない。
素直にクリーニング屋に持っていけば、よかったと言う話です。





















2016年8月22日月曜日

シン・ゴジラ

今、上映しているシン・ゴジラを見てきた。
はじめっから未完成のゴジラが東京に上陸してきて、食い入る様に引き込まれるのだが、そこから総理大臣やら政府高官の会議、会議、そして場面が変わってはまた会議と、そんなに人の話ばっかり聞いてられんくて、途中で少し寝てしまった。



そしてまた進化して完全形態になったゴジラが上陸してくると、自衛隊やらアメリカの空爆などが出てきて、テンションMAXになってかなり面白かった。
モンハンのイビルジョーみたいに口を開いた時、皮膚が耐えきれず裂けてしまっているアホっぽいところも狂っているようでカッコ良い。

だけど、エヴァンゲリオンの庵野秀明監督だけあって、本当の東京をめちゃくちゃにしたり、絶望ともいえるゴジラの攻撃シーンなどの魅せる場面はちょこっとで、先ほども書いたようにほとんどが人と人の会話で終始する。

特に石原さとみなどの女性はいらないなって思ってしまう。
いろいろリアリティを求めても、結局あんな若いネーちゃんが重大な権限を持つはずないから、違和感を感じてしまう。
もっと若者なしのジジイ達が困っていた方よかったのではないか。
そして全体的にジジイが軽い。
威厳のある山本五十六のようなカッコイイジジイが見たかった。

もし、ゴジラがリアルで来たら?日本はどう対応するのか?ゴジラは敵ではないから駆除という形をとり、警察の管轄になる、など、、いや、それはわかったからと、そういう現在の憲法ではうまくいかないと言うのが今回の目玉であるのはわかるが、もう少しコンパクトに出来ただろうって、本当だったらいろいろと難しんだねーって思わせてくれるだけでいいんだから、ごにょごにょ専門的に疑問の思うやつはネットを駆けめぐればいいのだし、僕はゴジラ見るの初めてだから、そんなのはいいのです。

もっと自衛隊の悲壮感やら、家族なども大きく取り上げて、派手にずっとドンパチだけやってくれたら良かった。
あと一般市民が残酷に死んでもよかったのだが、福島のこともあるし、津波などのシーンは完全にアウトなんだろう。
だから海上保安庁やイージス艦もでてこない。
そして「ゴジラは悪いやつではない」というのにしたいんだろうけど、あんなの実際来たら冗談じゃない、殺すしかないだろう。

え?、ええ、ゴジラ初めてですけど、ええ、。










2016年8月19日金曜日

ひょっとして?

オリンピック中継を深夜まで見てしまい、寝不足の日々が続いています。
弱ければいいのだけれど、日本選手が毎日金メダルをとるので、とった瞬間とか表彰台の君が代とかまで見たくなってしまうのです。




レスリング69キロ級のの土性沙羅の時もついつい見てしまった。




だけど途中で異変というか、どんどんある部分が気になってきた。








それは
土性がカワイイのではないか?

と、チラチラ試合中に思い始めたのです。


名前がドショーだし、太めの筋肉ムキムキなのに、ひょっとして?
いやでも、正確に試合が終わって、素の顔を見てみないとまだ判断するには早すぎる。
実際、そんな女性選手をごまんと見てきて騙されたもんだ。
バレーボールの木村沙織だって、まともみたら実はそうでもない。












結果、土性さん、めっちゃカワイイという事です。
なんかあの男のような体に無理やり美人の顔を当てはめたような感じがする。
顔のパーツは均整がとれていて、マイナスポイントがない。

これ、この体とこの顔は好きな人は相当好きなタイプだと思います。
僕ですか?ええ、好きなタイプです。









2016年8月18日木曜日

高級なやつ

実家の猫は超高いエサを食べています。

もうエサというものには到底見えなくて、フランス料理の皿に盛り付けてあってもいいくらいの質感です。
最近の猫のエサはドンドン高級感が増しているように思える。
犬のものよりも、猫の方が少しそういう高級路線が高いとも思う。

いつも庭先に白いノラ猫が来るんですが、母さんはこいつに少し腐った食べ物を与えている。
次の日になると文句一つ言わず綺麗になくなっているから、美味しくいただいているのだろう。
腹を壊さないのか心配だが、野生なのできっと危険だったら食べないはずだ。































そこで、目の前のこいつである。



少し残している。

好き嫌いが激しく、もうこの高級なペースト状の肉しか食わない。

一日中寝ているし、ただの高級ウンコ製造機なんだが、こいついなくなったらいなくなったらで、大変さびしいことになるのです。








2016年8月17日水曜日

モロのやつ

当たり前の事だけど、母さんが買ってくる海鮮物はイカ、サバ、ニシンなど全てさばかれていないモロそのままの個体を買ってくる。



当然、安いというのもあるし、イキもいいからうまい。
イカなどは内臓のゴロもうまいから捨てるところがない。

僕は気持ち悪いのでそんな事は出来ないが、初めからさばいて食べ物にする人と比べ、生き物を食べているという感覚が薄いのだと思う。

そういうのって多分すごくズレている感覚なんだろうな。
今度モロのやつを買ってきてやってみようかな。
きっと何かが少し修正されて少しまともな人間になるかもしれない。





2016年8月16日火曜日

脱げた靴

今回のオリンピックを見ていたら、これいるのか?という種目がちょこちょこあり、気になりました。

水泳なんかは

50m自由形
100m自由形
200m自由形
400m自由形
1500m自由形
100m背泳ぎ
200m背泳ぎ
100m平泳ぎ
200m平泳ぎ
100mバタフライ
200mバタフライ
200m個人メドレー
400m個人メドレー
4×100m自由形リレー
4×200m自由形リレー
4×メドレーリレー
オープンウォータースイミング
(海で10km)

こんなに種目がある。
とくに自由形はあんなに距離を分ける必要があるのか?
なんかノリでどんどん足されたような感もいなめないのです。
これに一つずつ金メダルがあって、男女で分けられるから、水泳のメダルってものすごく多いことになる。


あとはレスリングも2種類あって全身どこを掴んでもいいフリースタイルと、







上半身しか掴んではダメというグレコローマンスタイルがある。






これもいるのか?と思ってしまった。
全身どこでも掴んでいいフリースタイルだけでいいだろ。
ただグレコローマンって言いたかっただけではないのか。


そして今回女子陸上3000m障害で靴がぬげて片方の足は裸足で走り、観客から割れんばかりの拍手をもらっていたエチオピアの選手がいたが、




いやいや、そりゃそうだろ、、だって障害があるんだもの。
これ?いる?
まだハードルをピョンピョン飛ぶだけならわからなくもないが、水たまりって、すごい不安定要素だよな、、。
なんか努力してきたものを根こそぎ持って行く力がありすぎる。

いつも確実に濡れるし、大体普段どこで練習しろっていうのか。
そして障害って言うわりにはハードルと水たまりの2種類しかないし、3000mというのも長すぎる。
これに水泳のような50m、100m、200m、リレーなどあったとしても、ああ、そういうもんなんだって見ている方は思ってしまうのだろう。





ただこのエチオピアの選手は他の選手との接触で靴が脱げたのであって、障害物のせいではなかったようだったが、きっと水たまりとかの障害物で何らかの影響があったのだと思う。

ゴールした時に拍手を受けながら泣いている姿を見ると、もう普通の競技やれよと思ってしまう。










2016年8月10日水曜日

タレの袋

みよしののぎょうざ弁当をたまに買ってきて家で食べます。
だけど、この弁当についてくるぎょうざのタレとラー油の入った袋にいつも腹が立ちます。

まず切れ目がないのが一つ。
もう一つはサイドについているギザギザしている所のギザギザの角度が非常にゆるやかなので、切れ目が入れづらい。
本当に悪意すら感じるゆるやかなギザギザだ。



必然的に力を込めなくてはならないので、急に切れ目が入った時にタレが飛散しやすい。
飛び散らないまでも、確実に手を汚すので、ティッシュで手をふくこととなる。
そしてまだタレの大きい部分はいいのですが、連なってついているラー油の袋は細いので、ものすごく切れ目が入れにくい。
たまに面倒な時はもうラー油なしで食べる時がある。









これはもうずーっと改良されることなくこの袋できている。
だからもう、コレにしれくれないかな
       ↓



両サイドにしっかり切れ目があって、なおかつそそぎやすいように切れる箇所は細くなっている。
これならば、手も汚れないし、すぐにあの大好きなみよしのぎょうざが口の中に収まる。
思えば僕はみよしの弁当を食べる時、この袋によって毎回ちょっと無意識にイラっとした感情をしているだから、純粋にみよしの餃子を楽しめていないのではないかな。

店内で食べ終わったあとの飴玉サービスいらんから、この袋を発注している会社とは取引をやめて、是非、上の絵のような袋に変えてほしい。

正直言って、あんな弁当はパパッと食べて終わらしたいたぐいのものです。
くくり的に言えばマクドナルドのようなジャンクフードとかと一緒の感覚なので、家に帰ってきて袋でモチャモチャしている時間をさきたくないのです。

ただ、この問題に声を大にして言う人はいない。
だって、ねえ、しょせんはたまにしか食べない、いちチェーン店のぎょうざのタレの袋の事なんだから。

世の中にはもっと考えなくてはならない事があると思います。
千代の富士も亡くなりました。
でも、現在の僕はこのことくらいしか考える事がなかったのです。
平和です。
明日からお盆休みで帰省します。
しばらく晴れそうです。












2016年8月9日火曜日

最近は暑くてなかなか寝付けない。





それでも11時過ぎると涼しくなり、扇風機に頼らなくてもよくなる。
そうなると本当に過ごしやすく、ああ、夏っていいなーって思えるのです。
そしてそのいいなーを味わっていると、ついつい夜更かししてしまう傾向がある。
だからなんか毎日寝不足です。

いずれにしてもお盆が終わると北海道は急に秋っぽくなります。
あと1〜2週間の夏を大事に過ごしたいと思います。

2016年8月8日月曜日

極楽とんぼ

チケットの先行予約が朝の10時でした。
10分くらい遅れて電話したが売り切れていた。
そしてすぐネットオークションで高値がつけられていた。





沙流川のキャンプ場では意気込みや熱意などが全く足りませんでした。
札幌はツアーの初日だし、見たかったな〜。




2016年8月5日金曜日

回らないやつ

扇風機を出した。

びっくりするほど快適になった。
正直、ぬるい風しかこないだろうと思っていたが、こんなのでもあるのとないのとでは雲泥の差がある。






いつも思うのだが、このタワー型の扇風機をなんと呼んだらいいのだろう?

「扇風機買ったよ、回る奴じゃなくて、細長い形をした回らないで風が出るやつ、、」とイチイチ説明してしまいそうだ。

それはこのタワー型のやつが「せんぷう」という感じではないからだ。
「せんぷう」と言われれば、回ると言うイメージがある。
それはおそらく「旋風(せんぷう)」という渦巻き状におこる風を思い浮かぶからだ。

ここで使われているのは「扇風(せんぷう)」と言うことで、扇の風だ。
だから回っていなくても扇の風なんだから人が涼めれる風と言う意味合いなら、すごく合っている。

ただ、この「扇風」という熟語で調べたところ、単体では何もヒットしない。
この「せんぷう」は「機(き)」とくっついて初めて世にでた熟語である。

将来回らない扇風機がでる時のために考えたとは思えないが、この漢字によって、この回らないたぐいの風を起こす機械も「扇風機」と言っていいのです。

でもやっぱり「扇風機」っていうのはなんか違うよなー。










2016年8月4日木曜日

ラベンダーの香り

憎っくき蚊を退治はしたのですが、どこからか侵入してきた事は確かだ。

また網戸と窓の隙間から飛行高度ギリギリに突入してくる盛りのついたメスがくるかもしれない。

いずれにせよ貴重な睡眠のために防虫対策はしなければならない。


キンチョールと迷ったのですが、蚊取り線香にした。






































さらに普通の蚊取り線香の匂いでは嫌なので「ラベンダーの香り」にした。

これは蚊取り線香というより、普通のお香みたいです。
匂いもすごくいいです。
本当に効いているのか心配ですが、昨晩はよく眠れました。







2016年8月3日水曜日

不毛な戦い

札幌に住んでいて、一度も蚊に吸われた事がなかったが、この前初めて刺されてしまった。

マンションの3階くらいになると蚊の飛行高度は限界に達してしまうから、ほとんどいないとの事です。
僕の今住んでいる部屋は車庫が1階だとすると3階という事になので、蚊はいないはずなのに、、。

昨夜、



と耳元を確実にモスキートな奴が通った。

実を言うとその前の晩にも刺されていたのです。
でもあんな小さい生き物、次の日まで生き残れるパワーなんぞなく、勝手にひっくり返っている事だろうと舐めていた。

だから、まだ生きている事に驚いたのと、もうこんな一匹に刺され続ける訳にはいかんと思い、起きた。

午前2時。
まず、貴重な睡眠をリセットされた事で奴の大罪は確定的なのだが、



股間の両端を、なんでかわからんけど、キレイに左右対称に吸っていきやがった。

かゆい、、。

ふだんの生活でこんなところ掻いているの見られたら最悪だ。


もう〜、だめだ、、!
完全決着あるのみ!





待つ。


カッチカッチ、、、。


待つのみ!


しかし鼻息も殺してじっと待つがいっこうに現れない。。
この間にも貴重な睡眠時間を削られていく。
ただでさへ最近は暑くて寝苦しいのに、やっと寝れたと思ったらこれだ。
本当にこの蚊を殺してやろうと思った。
いや、殺すんだけどね。

だけど一度あきらめて、電気を消し、寝に入るとまた耳元を「プ〜ン」と羽音を立てたので、本当に観念した。

わかった! もう、起きている!
お前を見つけるまで朝が来ようと絶対寝ない!





それでも、全く音もしないし、姿も見えない。
目を凝らし、部屋のすみずみまでジロジロ見るが全てが止まって動かない。




だけど、ついに!

30分くらいして、やっと見つけた!

僕の枕にいた!

多分、寝汗による二酸化炭素に引き寄せられたんだ!





あのやろ〜〜〜!


















勝った。





見ると腹の部分が僕の血でパンパンに膨れ上がっていた。

つぶすとこいつの体積に余りある血が噴き出す。
たくさん吸いやがって。。

蚊はメスしか人の血を吸わない。

血は彼女らの産卵に必要なタンパク源となる。
つまり、血を吸って、どこかで卵を産みつけなければならないのだが、今回僕が潰した彼女は絶対にこの部屋から出れる事はなかっただろう。
窓は網戸だし、僕が外出するときに開閉するドアなんてわずかな時間だ。

ホント、何しに来てんだか、、。。

そう思うとなんて不毛な行為なんだろう。
しがないおっさんの股間を綺麗に左右対称に吸っても、産卵できないんじゃ、誰も得しない。

不毛すぎる。

いや、僕がやさしく捕まえて外に逃がしてやれば、新しい生命が生まれたかもしれない。
そうすれば、多少の意味合いも出てくるし、自然の法則にかなっている。





するか!そんなこと!


殺すのみ!
不毛のみ!
絶滅を切に願う。




















2016年8月2日火曜日

境界線

アパートに帰ってドアを開けると少しヒンヤリした空気に救われます。





外は蒸し暑く、夜寝れるのか心配していたら、建物の中は意外と涼しいんだと安心します。







だが、しかし、











自分の部屋の二階に上がると急激に温度が上がるのです。
まるで植物の温室にも似たモアっとした重い空気。。。

一瞬で体全体の汗腺から汗が吹き出る。
そして不思議なのが、階段から上がる二階との境目からくっきりと温度が違う。
本当に線でも引いたように。

当然、部屋の中も暑いです。

扇風機を物置から持ってこようと思うけど、その前に暑くて動きたくないから、ずっと暑さに支配される日々です。