東ローマ帝国の最後を語る上で避けて通れないのが、宗教。
とりわけキリスト教がややこしい。
ローマ帝国というのはそもそもキリスト教を迫害してきた歴史がある。
国そのものに宗教というものはなく、日本と同じで八百万(やおよろず)の神という感じで、太陽、月、海、などギリシャ神話からくる様々なところに神というのが宿るというくらいの信仰だった。
ただキリスト教が徐々に入ってきてからは、国が急に弱くなる。
まず、一番の難点は戦わないということだ。
戦地に行くことを拒み、虐殺されても戦わないのだから、どうしようもない。
もちろんキリスト教によって救われた面も大きくあるが、全体的に「面白くなくなった」という印象がある。
実際キリスト教が入ってくる前の美術や文化などの方が生命力や躍動感があるし、ルネサンスという美術の革命もそう言った古代ローマ、ギリシャ文化の復活を目指したものだった。
そしてローマ帝国の歴史の中でも5本指に入る事件として、皇帝がキリスト教徒になったと言う事がある。
それまでキリスト教というのは国力を衰退させるものだとしていた認識だったローマ帝国がとうとうトップの皇帝が洗礼を受けてしまった。
その皇帝こそ西のローマから首都を今回のコンスタンチノープルに移したコンスタンティヌス1世。
もともとこの土地はビザンチウムと呼ばれいたのだが、彼の名をとってコンスタンチノープルと変えた。
それが325年。
今、終焉を迎えようとしている東ローマ帝国は1453年。
奇しくも東ローマ帝国最後の皇帝はコンスタンティヌス11世という初代と同じ名前だった。
この11という数字は何も歴代の皇帝が全部コンスタンティヌスという訳ではなく、本当にたまたまだったらしい。
一般的に東ローマ帝国の終焉とローマ帝国の終焉は区別している。
その一番の理由は東ローマ帝国が完全なるキリスト教国家であったことです。
このようにキリスト教を語らずして、コンスタンチノープルの陥落は語れない。
だけどここで言う宗教というのはあくまで政治的に利用されている宗教であって、キリスト教自体はとても良い面がたくさんあります。
一般の人々の間で信仰されているささやかな感謝の気持ちのたぐいとは別物だと言っておきますが、この時代、東ローマ帝国はキリスト教と政治が密接に関わっていたのが結果的に滅んだ原因の一つだと思います。
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