2016年8月29日月曜日

コンスタンチノープルの陥落 4

この3重になるテオドシウスの壁をオスマン帝国はどう攻略したのか?
現代の兵器を使えば戦車ででも大砲を撃っていれば壊れそうだけど、当時の最大の攻城武器と言ったら投石くらいなもので、少しは壁を損傷させるだろうけど、完全に破壊するのは無理だった。

ここで現れたのがハンガリア人ウルバンだ。
この本ではそれほど取り上げられていないが、彼は今後の戦争の形態を大きく変える事に成る存在だった。

彼がメフメト2世に会えたのはコンスタンチノープルの壁を壊せる方法を知っていると言ってきたからだ。
彼はまずメフメト2世率いるこのオスマン帝国に来る前に、キリスト教徒なので、東ローマ帝国の皇帝に会いに行ったが、相手にされなかったのです。

メフメト2世はまだ21歳と若く、考えが柔軟だった。
ウルバンが目の前である設計図を広げると、初めはよく理解できなかったが、説明を受けると徐々に興味を示し始めた。
そして東ローマ帝国の示した報酬の3倍を約束した。
それからメフメト2世は城攻略の希望を持てたのか、夜な夜な楽しみにしていた少年へのまぐわいも回数が少なくなったそうです。








ウルバンの巨砲と呼ばれるその大砲は砲身の長さは8メートルもあり、石弾の重さは600キロ。
そしてその巨大な石は発射される20キロ範囲に音が響き、飛距離は1キロ半も出る。
その発射実験を見たメフメト2世はまるで北朝鮮の金正恩のように喜び、直ちに量産を命じた。
そしてコンスタンチノープルの壁までの道路を再整備もした。
何しろ30頭の牛が左右に並んで引っ張らないと動かないのだから、道も相当頑丈じゃないといけない。








この大砲はこの時代はまだうまく扱えなかったり、頻繁に壊れたりしたそうだけど、この戦争の後、各国競って大砲の製作に取り掛かった。

城の形態も変わる。
それまでも直立の壁から、少しでも大砲の衝撃を少なくするためのなだらかな城壁が主流となる。

そして兵士も変わる。
それまでは頭から足の先まで重い甲冑で身を包んだ、戦いのプロである騎士階級の地位がどんどん下がっていった。
大砲の操作ならば、教えこめば誰でも出来たので、それまでの隊列を組んで長い修練を必要とした歩兵や騎士は、大砲を扱えるアマチュア軍団に次々と吹き飛ばされていくこととなる。

いつも思うけど、こうやって新兵器が出来上がってその威力も知らず、初めに死んでいった兵隊さんは一番報われない。

大砲は人間どうしで言えばピストルみたいなものだ。
力のない者でも銃口を向ければ誰でも言うこと聞かせれるという、新しい価値観が出来つつあったのです。















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