2016年8月10日水曜日

タレの袋

みよしののぎょうざ弁当をたまに買ってきて家で食べます。
だけど、この弁当についてくるぎょうざのタレとラー油の入った袋にいつも腹が立ちます。

まず切れ目がないのが一つ。
もう一つはサイドについているギザギザしている所のギザギザの角度が非常にゆるやかなので、切れ目が入れづらい。
本当に悪意すら感じるゆるやかなギザギザだ。



必然的に力を込めなくてはならないので、急に切れ目が入った時にタレが飛散しやすい。
飛び散らないまでも、確実に手を汚すので、ティッシュで手をふくこととなる。
そしてまだタレの大きい部分はいいのですが、連なってついているラー油の袋は細いので、ものすごく切れ目が入れにくい。
たまに面倒な時はもうラー油なしで食べる時がある。









これはもうずーっと改良されることなくこの袋できている。
だからもう、コレにしれくれないかな
       ↓



両サイドにしっかり切れ目があって、なおかつそそぎやすいように切れる箇所は細くなっている。
これならば、手も汚れないし、すぐにあの大好きなみよしのぎょうざが口の中に収まる。
思えば僕はみよしの弁当を食べる時、この袋によって毎回ちょっと無意識にイラっとした感情をしているだから、純粋にみよしの餃子を楽しめていないのではないかな。

店内で食べ終わったあとの飴玉サービスいらんから、この袋を発注している会社とは取引をやめて、是非、上の絵のような袋に変えてほしい。

正直言って、あんな弁当はパパッと食べて終わらしたいたぐいのものです。
くくり的に言えばマクドナルドのようなジャンクフードとかと一緒の感覚なので、家に帰ってきて袋でモチャモチャしている時間をさきたくないのです。

ただ、この問題に声を大にして言う人はいない。
だって、ねえ、しょせんはたまにしか食べない、いちチェーン店のぎょうざのタレの袋の事なんだから。

世の中にはもっと考えなくてはならない事があると思います。
千代の富士も亡くなりました。
でも、現在の僕はこのことくらいしか考える事がなかったのです。
平和です。
明日からお盆休みで帰省します。
しばらく晴れそうです。












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