これを扱うのは非常に面倒なのですが、一応、僕なりの解釈なので、間違っているところもあると思いますが、あやふやにしないで、言い切りのカタチで進めます。
キリスト教は大きく分けて3つの派があります。
・カトリック
・正教会
・プロテスタント
まずはカトリックがあって、東に首都を移した今回の東ローマ帝国から広まった正教会ができて、ずっとあとになってルターが起こした宗教革命により様々な派が表れて、総じてプロテスタントというのが現れた。
違いは、まず「聖書」と「聖伝」というものの立ち位置の問題なのです。
カトリックが「聖書」と「聖伝」は同じ扱いにしています。
「聖書」はそのまま聖書に書かれたものの事で、「聖伝」はキリストの弟子達や、そのあとに数多くの偉大な司祭の発言や行動といったものです。
なので、「聖伝」は現在進行形のもので、例えば今のローマ法王が行った事も聖伝となるのです。
避妊、中絶が禁止という信者も多い。
次に正教会。
正教会は「聖伝」の中に「聖書」があるという立場です。
つまりキリストが誕生して聖書ができたという事は聖伝の一つだという事です。
だから、聖伝に重きを置いている。
カトリックがマリア像に向かって祈るのに対し、そう言った偶像崇拝を禁止しています。
でもはっきり言って、どーでもいいような事がほとんどで、カトリックと正教会の違いはこれだと確定するような確かなものは実際ないように思います。
そのあやふやな感じだけにすごく根が深くなってしまっている。
ただ、性格的にカトリックは現実的であり合理的で、正教会は神秘的な傾向が強いようです。
そしてずーーっとあとになって出てきたのが、カトリックから別れでたプロテスタント。
これは色々あるんですが、おもだった派は解釈は個人の自由でも「聖書」に書かれている事が絶対で、書かれていない事は信じなくていいという立場です。
だから、聖伝は全部否定して、マルティン・ルターが最初にそれを大声で言って、殺されそうになり、それまでの腐敗した教会の癒着や利権を正した。
だからプロテスタントが一番縛りがなく、割と楽にキリスト信者になれるような感じです。
と言う風に、基本的にはイエスキリストの元、隣人を愛せという掛け値なしの博愛精神は変わらないのですが、解釈の違いというか、離婚する夫婦のように長い長い時間の中で少しずつ積み重なったズレであって、本来ならそんな垣根があってはキリスト教ではないように思うのですが、理屈ではない事が意外と大事だったりするんです。
仏教でも真言宗とか浄土真宗とか色々分かれているアレと同じです。
今回のコンスタンチノープルのある東ローマ帝国は正教会。
そして西欧にある国々はローマを中心としたカトリック教会なので、同じキリスト教であっても仲が悪いのです。
ですが、オスマン帝国はイスラム教であり、その異教徒に考えが食い違ってはいても同じキリスト教の東ローマ帝国が滅ぼされようとしているのです。
当然、コンスタンティノス11世は西欧側に援軍要請をお願いする。
目指すはキリスト教の東西統一。
それも、もうカトリック側が主導権を取っていいとすら言ったのに良い返事が来なかった。
その前にも東西統一は何度も実現されそうになったが、最後の方でどちらかのお偉い方が感情を爆発させて、無しになる。
つい最近でもこのようなカトリックと正教会の和解が進められたが、最終的には例によって聖書と聖伝、細かいところで言えば、様々な儀式やその時の礼とか仕草一つひとつが、譲れないという、イエスも呆れる器の小さい関係なのです。
だけどその頃、西欧の方でも大きい戦争が各地で勃発しており、自軍を守るので精一杯だったというのが東ローマ帝国を助けてやれない理由の一つだったし、オスマン帝国のメフメト二世は援軍が来ないという裏を取っているから攻めてきているのです。
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