2016年8月25日木曜日

コンスタンチノープルの陥落 2

当時のコンスタンチノープルは東ローマの首都だったのですが、かつての「世界の富の3分の2が集まっていた」繁栄もすっかりなくなり、滅亡の一途をたどっていました。

これは当時の勢力分布図です。
薄く紫の部分がオスマン帝国のこのあと増える領地の最大時です。









でも、コンスタンチノープルが陥落する時のオスマン帝国の領土は濃い紫の部分で、ボスポラス海峡の左側、ちょっと赤くなっているところが東ローマ帝国のコンスタンチノープルです。

すでに西のローマは滅亡して、ローマという偉大な名前を引き継ぐ国は最後ほぼこの小さな半島の一角だけになっていたのです。
だからこの時点でもう国という感じではないのです。
このかなり前の段階で東ローマ帝国は終わっていた。

さらに拡大するとこの通り。








コンスタンチノープルは街をグルっと全長で21kmにもなる城壁で囲んでいて、進撃の巨人のモデルみたいな都市です。
とくに陸側のテオドシウスの城壁は長さ6kmの三重構造になっており、その外には20mの堀まであるのです。
まさに難攻不落、誰もがそれを見たら攻めようなんて気力は急速に失ってしまう。
このガチガチの要塞は街の中で自給自足もできるし、いざ籠城となったらいつまでも守っていられるのです。

この頃、オスマン帝国には21歳になったばっかりの若い君主であるメフメト2世が新しい王となった。






先代の偉大なメフメト1世は戦場で先頭に立つくらい現場にいる勇敢な王で、自国はもちろん他国からも尊敬されていたが、後を継いだこの21歳の若者はかなりクレイジーな奴で、毎夜キリスト教の奴隷である若くてきれいな女や男(小姓)と交わったりとやりたい放題で十代を過ごす。
感情の起伏が激しく、先代の王が生きている時は幽閉されていたくらい問題児だった。

そしてメフメト1世が亡くなると行動は速かった。
すぐに自分が王になり、先代が躊躇していた1100年続いたこの都市を攻める事を決意する。

そこから彼は人が変わったように落ち着いた獲物をじっと見据える虎になる。

1100年と言えば、日本なら平安時代から現代の平成までの時間だ。
そんな由緒正しき歴史の幕を自らの手で落とそうというのだから、相当怖いもの知らずと言っていい。
タイプとしては信長みたいな感じで、まさかそこまでやらないでしょうと言う事を平気でどんどんやっていく。
ようは既成概念にとらわれない優秀な政治家だったのです。

上の地図で見るボスポラス海峡の一番細くなっている部分に要塞を作った。
ヨーロッパ側を「ルメリ・ヒサーリ」、アジア側を「アナドル・ヒサーリ」という。
元々は「アナドル・ヒサーリ」しかなかったのだけど、ヨーロッパ側にこれよりももっと大きな要塞「ルメリ・ヒサーリ」を作ったのだから、周りにいる国や、特に黒海で商売をしているヴェネチアやジェノバの商人はひどく怒った。
さらに莫大な通航料までとるようにしたので、もうここの時点で宣戦布告と言っていい。

だけど、間違っても暗い未来などだれが想像して生きていけるだろう。
自分の都合のいい将来しか見えないのが人間だ。
まだこの時点では商人たちや東ローマ帝国も様子を見ていた。
しかし「そこまではやらないでしょう」は逆を言えば「そこまでやれる」という事でもある。

海洋都市ヴェネチアはオスマン帝国に対して、これはお互い国同士でかわしている規約違反だとして抗議したが、メフメト2世は「海賊の取り締まりで公海の安全のため」とあからさまに嘘の大義名分を出してきた。

ヴェネチアに限らずライバル国で普段いがみ合っているジェノバもこの時は協力して
抗議していたが、ある日とうとう事件は起こった。

いつも通航料など払わず、海洋都市ならではの卓越した操作技術により両岸の要塞から放たれるオスマン帝国の大砲をかわしていた商船だったが、とうとう一隻が近くに落ちた砲丸の水柱にバランスを崩し、立て直す事が出来ず、次の大砲で船は大破。
船長、船員含め、水に飛び込んで岸まで泳ぎ切ったが、そこにはオスマン帝国の兵士が待っていた。






まあ、それでも脅しの大砲がたまたま当たったという事もある。





オスマン帝国とは本来、商船の通行は制限を設けないことで約束しているヴェネチアは、契約違反の大砲は咎めず、「助けてくれてありがとう、船員たちを返して欲しい」くらい下に出て使者を送った。
なんだったら、少しお金や財宝も持たせた。

だが、クレイジーな21歳の若者は、そんな使者を一蹴。
あっさり船長を串刺しの刑、船員30人は胴と脚部分を真っ二つにした。






国同士の約束とは何なのか。
この約束を破るということは、それはもう全ての国から信用を失っても構わないという、一番のストロングスタイルに入った事を言う。

現在、ロシアのウクライナの一部を奪った経緯といい、中国や中近東の方では今でも小さい約束を破っている現実がある。
ある日突然「そこまでやれる」を実行してしまっているのが人類の歴史なのです。
そしてこの時代も「戦争反対!」というデモは市民の間で起こっていたそうです。


とにかく、一方的なオスマン帝国の約束破棄によって、世界中は完全にメフメト2世の意思がわかった。
「1100年続いたコンスタンチノープルいただきます」と。



続きます。













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