2016年5月31日火曜日

徒歩モラップ 2

今回の徒歩キャンプ、行きは地下鉄で新さっぽろまで行き、そこから汽車で千歳駅、そしてバスで支笏湖という流れです。




札幌から直接行ける交通手段はない。
確かに札幌から行くあの細く曲がりくねった道をバスは走れない。
支笏湖は昔から千歳市のものなのです。

汽車で直行で千歳まででもいいのですが、少し値段が高かったのと、家を出て始めは歩くが辛くて、すぐ地下鉄に乗ってしまったのです。




格好が紛れも無く「キャンプをしようとしている人」という格好なので、土曜日とは言え、仕事に行く人がたくさんいる早朝の地下鉄と汽車に乗るのは少し恥ずかしかったです。

当たり前だけど、他にこんなキャンプに行こうという姿の人は見られない。
明らかに休日に浮かれて飛び出した「アウトドアおっさん」というカテゴリーに脳内保管された事だろう。

しかし本当、信じられないくらいキャンプという格好だ。
キャンプのコスプレと言ってもいい。
カルタで「き」の文字があって、この格好の絵でも絶対間違いない。


しかし、千歳駅に着いてみると、4分後に支笏湖行きのバスが出てしまったみたいで、次のは2時間半後の11時51分だった。

いきなりクソほど暇になった。
仕方がないのでiBookで塩野七生の「コンスタンチノープルの陥落」を読んだが、意外とハマってズルズル読んでしまった。

ローマ人の物語はコンスタンチヌスが東ローマ帝国を築いてローマが西と東に分かれて一応は終わった。
あとは足早に滅亡までサラサラっと省略されていたが、これは1冊ながら、その後の完全に東ローマ帝国が滅亡するまでの経緯にピンポイントをあてた話です。

国の興隆があって滅亡を描く物語はあれども、初めっから滅び行く国の末路を題材にしたものはあまりない。
とにかく明るい話題はない。
すべての事柄に「量」が乏しい。
それは食料であったり、金、人間、信頼などなど、常にギリギリで、読み進めるたびに切なさが何重にも重なってくる。
少しずつ、少しずつ、自分勝手にいいように解釈していたものが、一番考えないようにしていた最悪のシナリオに飲み込まれていく。

国と言うものは人間が作ったもので、当然ながら人間の心のように、都合よく物事は進まず、時代に翻弄されていくのであった。

たたでさえ、一人で徒歩キャンプという、すごい寂しい環境なのに、なんで滅びてく話を読んでいるだろうと思ったが、めちゃくちゃハッピーな話を聞かされても、それはそれでしんどい。
そう思うと、すり減る現状を少しでも保とうとするこの状況は、あんがい今の気持ちにピッタリだったかもしれない。

そんな小難しい事を考えるに2時間半はうってつけだった。
この強制的な暇な時間は悪くない。
ごちゃごちゃした雑音がない。
旅とはこの空間を過ごすためにあるものだ。




朝、早く起きて用意とかして家を出たので、急に眠気が出てきた。
外は寒くも無く、暑くもない、ちょうどいい気候だったので、駅前の石のベンチで寝てしまった。

これもキャンプのコスプレをしているから、全く恥ずかしくない。
この姿はどこでもこのように寝ていいライセンスの役割も果たしている。










2016年5月30日月曜日

徒歩モラップ 1

支笏湖のモラップキャンプ場に徒歩でキャンプに行ってきました。
徒歩と言っても、支笏湖までは交通機関を使いました。

衣食住を全部担いで行く徒歩キャンプは、元来キャンプの本当のあり方でもあるのです。
普段生活していて、最小限に削ぎ落とした感覚をある程度は想像できます。
ですが、実際に骨身に沁みこんだ体験で感じたい欲求が日に日に膨らんだのは1ヶ月前で、色々と道具も揃えて準備をしてきた。

自動車、自転車を使わない、歩いていく。
いい、シンプルですごくいい。

そんな禅の教えみたいな、カッコよく言えば、若い頃読んだジャックケルアックの路上のような感覚が思い出されてきた。

そして、とうとうその膨らんだ妄想を昇華できる日が明日となったのです。
天気も晴れだし、仕事で疲れてちょっとどうしようか迷ったけど、気持ちや時間などのチャンスは意外と少なかったりもするので、行ける時に行った方がいいのです。

前日の夜にひと通りザックに荷物を詰めて担いでみたら、とんでもない重さで、これは100メートルも歩けないだろうと思った。
やばいな、、まだ何か荷物を減らすか、、と考えたが、多分これは明らかに何かがおかしいのだと思い、YouTubeでザックの担ぎ方を検索して見てみた。



すると、まず一番の基本は腰で持つ事。

人間の一番頑丈な部分であり、腰のちょっと上あたりをザックが引っかかる感じになる箇所があるので、そこにセッティングするのだそうだ。
言われた通りにしてみると、確かに何かうまく引っかかる感じのポイントがあった。
そこに置いたら次に腰のベルト、肩のベルト、両肩のベルトをつなぐ胸を横断するベルト、などはまずは緩めておいて、腰から締め、胸のベルトは締めずに、両肩のベルトをギュッと引っ張って締める。
このギュっと引っ張って締めるのも動画を見たおかげでコツがわかった。
すると、たしかにまだ重いことは重いんだけど、ザックと完全に一体となり、だいぶマシになった。
劇的に負荷が軽げんされたので、驚いたと同時に、やっぱり何かやり方があったのだと、感心した。
こういう事を知る事ができるのも、明日徒歩キャンプをやると決めた以上、簡単には諦めれないから学ぶのだ。
何事も自主的に行動しないと身につかない。





しかし、次の日、朝8時くらいに家を出たのだが、すぐにキツくなった。
地下鉄駅までの数百メートルで肩や腰、足までも軽く熱を帯びてきた。

徒歩なので、途中でやっぱりやめたはできない。
だから、行けるところまでという、中途半端な逃げ道もないので、不安になるような事を考えるのはやめた。

逃げ道をなくすのはいい事だ。
ただ、普段の生活でそれはできない。
基本的に疲れる事は避ける。
だって疲れるから。

休日に疲れる事をするのは、その見返りがそれ以上にきっと大きいものだと確信するからだ。
とりあえず、怪我とか大きいトラブルがない以上、目の前の与えられた小さなミッションをコツコツとこなしていく。
そう、これはそう言った、様々なミッションをあれこれ考えて解決していく大人の遊び。
それがアウトドアなのです。

だから疲れる事を楽しんでいるのです。
疲れる事にお金を使っているのです。


続きます。






2016年5月27日金曜日

白井の美しさ

バナナジュースにハマっています。




そもそもこれは連休中に実家のテレビで見た、体操の白井選手がジューサーで流れるような手際で作っていたのを真似たのがはじまりです。
彼は氷とバナナだけで作っていましたが、僕はそれに少量のハチミツと牛乳を加えています。

バナナは1本でも結構な量のジュースができます。
2本なんかいれたらかなり濃いです。
この前なんか一気に4本分くらい作ってしまい、飲みきれず冷蔵庫にしまっておいたのですが、次の日でもう、少し黒ずんで美味しくなかったです。
きっとミキサーで分解してしまうから、鮮度も落ちやすいのだと思います。

それにしてもテレビでみた白井くんの手際の良さと言ったら本当に美しかった。
最後のタオルで手を拭くところまで、一切の無駄がないし、シンクのどこも汚れていない。

きっと一流の体操選手は何をやらしても飲み込みが早く、手際も美しいものになるかなあ。
ジュースは確かに完璧に美味しいのだけど、何か物足りなさを感じていた。
きっとジュースを飲みたいというより、あの手際の良さを真似てみるのが目的だったかもしれないと、この記事を書いていて思っています。





2016年5月26日木曜日

とほキャン

今年もキャンプができる季節になってきました。
一人でもキャンプをするようになり、いろいろ奥地に行ったり、わざと雨の日行ったり、二泊三日の旅行などと、年々エスカレートしてきているのですが、今年はまたもうワンランク上のキャンプをしようと思っています。

それは

徒歩。

ザックに最小限の荷物と食料を担いで、まさに身一つでやりとげる潔いものをやりたいです。

これはかなりレベルが高いそうだけど、移動に汽車とか使えば遠くまで行けるし、何より車でないので、その気になれば、どこでもテントを張れてしまうのです。

その計画のために65ℓのザックを買いました。
この大きさは徒歩キャンプしている人がおすすめしていた大きさです。
これが一週間とか長期になると80ℓ、100ℓとどんどん増えていき、見た目はザックを背負う人間というより、ザックに足がついた生き物みたいになります。

今回は安いザックを買ったけど、やってみてハマりそうだったらしっかりとした物を購入したいと思います。

しかし、持っていく物を厳選しなければならず、非常にむずかしいです。






























まるでパズルのような感覚で、この準備も楽しみの一つです。
いかに無駄無く、最小限に済ませるかが問題です。

そして詰め込むだけ詰め込んでも、それをずっと持って歩ける重さなのかどうかも重要です。

それにしても衣食住をすべて揃えて背負うというのはどんな感覚なんだろう?
心臓で血液と酸素を供給し続け、足と手とを消耗し、故障しないように注意するという気配り。
とにかく全てが少しずつ減っていく感覚が徒歩でのキャンプだと思います。










2016年5月25日水曜日

ジ〜ン

前脛骨筋(ぜんけいこつきん)を痛めています。
どこの箇所かというと、スネの外側にある筋肉です。






最近とうとう筋肉疲労がたまってきたのか、ここがジ〜ンと痛みだした。
だけどそんなの気にせず、ほっておいたら、ある日突然、パンパンに腫れて、まったく走れなくなってしまった。

調べると、単純に筋肉がないからおこるわけで、筋肉痛のひどいバージョンの炎症という事です。
それもそのはず、今までに体験した事のない、この肥えに肥えた身体を支えて走ったのですから当然です。
無理すると疲労骨折するそうで、今はしばらく走れない状態です。
そして思ったより腫れがひきません。




年齢による回復の遅さだろうと思うが、まったくやわな体になってしまったもんだと、悲しい気持ちになります。
それにしてもこんなにジ〜ンとした痛みは経験したことがなかった。
寝る前に湿布して寝ています。




2016年5月24日火曜日

ペケーニョ来た! ゴールド

3年半使った小さいふのペケーニョ。


買った時は鮮烈な青で、とても気に入っていました。

2013年7月10日水曜日


しかし洗濯機で回してしまったり、過酷なアウトドアにひたすら持ち歩いていたので、皮本来の油分がぶっとんで、かなりの劣化状態です。


でも、色が退色したくらいで、クアトロガッツの皮は品質が良いので、非常に丈夫でした。


経年劣化の味と言えば、味でしょうが、僕はあまりビンテージものに価値を見出せない方です。
古く使いこなされた物は絶対的に汚いだけで、断然キレイな新しいものの方がいいのです。


で、また買ってしまいました。
こんな封筒から、


以前、購入した時と同じ茶色い封筒が出てきた。

今回は皮の色指定はせずに、在庫からの注文なのですぐきました。


金ピカです。

雑誌リシェと高島屋のコラボとかで、限定品なんだけど、サイトの方でずっと売り切れ中と書いてあり、買えなかったのです。

この超ド派手なサイフ、何度もサイトを見ていたら、だんだん、だんだん、と欲しくなってきて、もう完全に「欲しい!」まで恋い焦がれていたのです。
ですが、何年も「売れ切れ中」と書いてあるだけで、在庫がないのだったら、見るたびに欲しくなるから、紛らわしいので掲載しないで欲しいと思ってたくらいでした。

でも最近、いつものように、ダメとはわかりつつ、購入画面まで進むと、数量を入れれる項目があるではないですか!

確認したら、まさにたまたま見たその日に入荷したらしく、またなくなる前に迷わずすぐポチっとしてしまいました。


金も思った以上に金ピカで、ものすごく気に入りました。
中のストライプとのチープなギャップも良い。



以前のと比べるとこんなに大きさが違っていた。
やっぱり一回水没すると皮はほぼ縮んでしまうようで、濡れたらアウトなiPhoneみたいなもんです。

ただ、この金ピカ、劣化が激しいと思います。
初日にジーパンの後ろポケットに入れてたら、すぐ黒ずみました。
さらによくよく見ると、手に小さい金粉がついている。
だからいずれこの金はなくなってしまう。

これはもう完全に幸福な王子だ。
僕はさしずめ金箔をはがして、不幸な人々に与えるツバメと言いたいところだが、




































もちろん、そんな事はしないと思う。
いや、絶対にない。
自分の事で手一杯だ。
剥がした金箔は全部自分のものです。

しばらくこの僕だけを幸福にしてくれる王子と付き合っていきたいと思います。











2016年5月23日月曜日

ライラック祭り

ライラック祭りに行ってきました。

イベントが目的というより、ウォーキングのついでです。

去年も来たような来なかったような、記憶が曖昧だけど、基本的に秋に行われるオータムフェストとかと同じく、大通公園で飲み食いするために設けたものと言う認識です。


ライラック祭りは毎年ラーメンの食べ比べがあるようで、北は北海道から南は九州まで、各地の有名店が一律800円のラーメンを出しています。





















北は北海道からと言うことで、当然地元札幌の店からも「銀波露」と「マッスル」の2店があるのですが、ほとんど客が来ません。
そりゃ当然です。
味うんぬんより、札幌に店がある以上、いつでも食べれるのだから。
それでも並ぶのが嫌で、とにかくすぐ食べたい人が来たりしていました。

僕は東京、一緒にきた友人は青森のラーメンを選びました。
特に僕の東京ラーメンはこってり濃厚味噌で、かなりの人気だったから、炎天下の中、辛抱強く並びました。
店に並ぶ前に共通のラーメンチケットを買うのにも並んだので、いざ食べる段になると、疲れてイマイチしっかり味わえなかった。
でも、まあ美味しかったです。

東京よりも比較的空いていた青森ラーメンを選んだ友人のものは、煮干しラーメンで、こっちの方がかなり美味しかったです。
初めは青森も人気なかったのですが、口コミで広まったのか、他と負けないくらい混み出してた。
でもすごく美味しかったと思ったわりに、もう一回食べたいと思うかといえば、不思議とそうでないのです。

やっぱり気が狂ったような濃厚な豚骨や、頭がおかしくなるような脂が多めのものの方が、インパクトがあるので、長期的な売り上げの爆発力があると思います。

あと、ライラックは一度も見なかったです。
ほとんどの大人は外で酒を飲みに来ているだけなんだけど、祭りの名前にアルコールのイメージをつけないようにしているのがわかります。










2016年5月20日金曜日

ブランドン・J

昨夜はまさかのレナードが2発のホームランを打った。

打率は低くても、ここぞという時、試合の流れを変えてくれる。
助っ人外国人のお手本のような選手だ。

しかも、あのサファテから打った2発目には驚いた。
打った直後のサファテと工藤監督の顔は今まで見た事のない表情をしていた。
ああ、この二人もこんな顔があるのかと思うくらいだったし、いつも負けて悔しい思いをしているので、久々にスカっとした。

打ち終わった後、左手一本でバットを後ろに回す独特のフォームは、三振した時などいかにも当たらなそうな印象があったが、ドンピシャで当たった時といったら、どこまでも飛んでく。

レアードが活躍すれば、去年、打てない時期もひたすら起用し続けた栗山監督。
あの時は、好調の近藤をサードに何でしないのかと、各マスコミが連日叩いていた。
実際僕もそう思っていたけど、栗山監督の選手の使いづづける信頼感と忍耐は、このレアードが打つたびに評価が上がり、細かいマイナスイメージは払拭され、来季もオーナーから続投という嬉しい未来に近づく。

今回は工藤監督がピッチャーを変えたら谷口に同点のスリーランを打たれた。
日ハム対ソフトバンクは接戦になるので、監督の判断ミスが勝敗に直結する。
今度は交流戦明けになるので、いいイメージのまま過ごせそうです。





2016年5月19日木曜日

キャテポンとカタモミ

女子バレーが面白い。
いつも日ハムの試合状況よりこっちが気になります。

韓国にやぶれ、昨日のタイ戦にもギリギリで勝ちましたが、このちょっと日本が弱いくらいの方が見ていて面白いです。
というか、タイとか韓国って、昨今こんなに強いって知らなかった。
昔はブラジルとか、イタリア、ロシア、中国以外には余裕で勝てたと言うイメージがあったんだけど。

そんな実力が五分となってきたタイ戦で信じられない事が起こった。





























タイのキャテポン監督の遅延行為で2点も日本に点数が入った事です。
しかも、本来なら25点制ところを、最終セットだから15点制という1点の重みがかなりあるところだったから、なお大きい。
今回からなのか、わからないけど、面倒くさいルールが増えていた。
野球や相撲と同じく、微妙な判定に対してビデオのスロー再生で判断できる「チャレンジ」というシステムだ。

これは1セットにつき、両監督が2回ずつ使える。
そして、スロー再生を見て、審判の判断が間違っていた場合、チャレンジ成功と言って、自分のチームに得点が入る。

ただし、やっぱり審判の判断が正しく、チャレンジ失敗の場合は、相手に得点がいく。
成功だと回数は減らないけど、失敗だと使える回数が減る。
だからもし、チャレンジ成功が続けば、何度も試合が止められる可能性がある。

ただ、このチャレンジシステムは試合がすごく止まってしまうので、ビデオ判定のあとのチャレンジ明けには試合の流れが変わってしまう場合がある。
というか、良い流れの場合は完全に調子が狂う。

あと、このシステムの悪いところは今のは怪しいなと思ったら、試合の最中、特に激しいラリーが行なわれている最中でも、ブザーを鳴らして試合を止めれるところです。
これは選手たちのリズムが一番狂うので、せめて選手の動きが終了して、得点し終わったあとにやってほしい。

それにしても、いくらキャテポン監督がレッドカードを受けたとしても、その罰則が得点というのは絶対ダメだと思う。
得点だけは競技の中でおこったものにしないと、バレー以外にもベンチの態度やあおりなど別の戦略が出てくる。
何と言っても、それで得点になる可能性があるのだから、純粋にバレーボールという球技でなくなる。

ただ、そうは言ってもこのキャテポン、この試合では、あまりにうるさいので、まず警告としてイエローカードをもらっているのだ。
どんなに理不尽な事があったとしても、試合を何度も止めてはいけない。
元々そんな事しなくても流れはタイにあったのだから。

真鍋監督は途中から気づいて、すごく静かになったのは、きっといろいろ日本語で情報が入ってきていたのかも知れない。

だが、僕はキャテポンなんてどうでもいい光景を見てしまった。

真鍋監督が作戦タイム中に、日本代表新セッターの若い宮下の肩を何度も揉みほぐしていたが、おっさんが若い子の体をあんなにさわっている絵は、なんか違和感があった。








ただ、監督からすれば、小さい頃から見ている選手だけに、自分の子供のような感覚なんだろうけど、はっきり言って、男の視聴者は完全にバレーボール以外の興味でも見ているのだ。
だから、この絵を見た世の男性は意識していないにしても、何か頭の中でつまづきを感じただろう。
僕なんかはつまづくどころか、完全に転倒してしまった。
オリンピックにいけるか、いけないかなんて、正直な話、僕にとってもはそんなに重大ではない、というのがこの絵で改めて認識できたのです。
ただ、スラッとしたデカイ女が飛び跳ねるを見たいだけだ。


だけど、「バレーの真鍋」と何度も頭の中で繰り返すたびに、うっすらと思い出してきた。
そうだ、川合俊一とかと一緒にプレーしていた日本代表のセッターだ。

昔はアイドル並みにカッコよくて、黄色い声援がキャーキャー飛んでいた、あの選手だ。
そうなると、宮下の肩ぐらい揉んでもいいか、となるのが不思議です。











2016年5月18日水曜日

WiFiルーター

WiFiルーターにしました。
引っ越してきてから2年間、iPhoneの7GBで毎月やっていたが、もう疲れたというのが現状です。

おかげでMacのOSもEl Capitanになりました。

今まで積極的にできなかったもろもろのアップデートから、それに付随して派生するもろもろの事で、かなり時間が取られた。




以前は大型のアップデートがあると、その月はすぐに7GB制限で使えなくなっていた。
特に今回のEl Capitanは2ヶ月に渡ってダンロードできないくらい、重かったような気がします。
そして、今回にいたってはとうとうアップデートできていなかった。

WiFiルーターは固定のネット回線ではないので、少しパワーは落ちますが、動画も見れますし、僕くらいのライトユーザーには、ほとんど支障ありません。
それに外出先でも、これからは制限を気にせずに使える。

だから、このWiFiルーターの恩恵の幅を広げようと思い、同時にiPadの契約もしたのですが、友達からルーターがあるなら通信契約のセルラー版のiPadは意味がないと言われて、気づきました。

そうだ、iPadはをAppleから分割で買えばいいのだ。
なんかいつの間にか、iPhoneやiPadは、通信会社の契約の分割でないと安く手に入れられないという思いが支配していた。

慌てて次の日に開店と同時に電話でキャンセル。
相談に乗った店員は馬鹿な客を一人取り逃がしたのだが、そこら辺をアドバイスしてくれないのは、店側のルールなのか何なのか、とにかく、あんなに親切に対応してくれたauの店員が急に怖くなった。

そして、よくよく(×3)考えてみれば、iPadもいらないと気づく。
思えば妙に欲しくなっていたApple Watchへの思いも、いつのまにか薄くなっている。

たまにくるApple製品への強力な吸引力は2カ月くらい耐えて、過ぎ去るのを待った方がいいみたいです。








というか、なんというか、あらためてネットってやっぱりメンドクセーなって思います。










2016年5月17日火曜日

角田光代 トークセッション 2

続きです。

角田さんの話の中で驚いたのが、若い頃よく一人旅に海外へ行っていたと言うことと、フルマラソンを4時間くらいで走れるくらいになった、ということです。

生粋のインドアな文学少女でありながらも、積極的な行動力と継続力があるのだから、元々只者ではない。
その秘訣見たいなものも、わかりやく話していて、すごく得るものがありました。
そしてまたフルマラソン走れるのか〜と、いつもの勝者に対して、5キロで悲鳴を上げている自分が情けなくなるのです。

それと、職業は小説家になるしか思っておらず、高校の頃から一貫して小説家で食べていけるにはどうしたらいいかを考えてきたそうです。
本当にプロの文を書く人って感じで、あらゆるジャンルをそつなくこなしてしまうし、話の組み立て方が恐ろしく速そうなのは、読んでいてわかる気がします。
角田さんなりの小説の書き方なんて本を出してくれたらいいのにな。

このイベントで一番感じたことは、文章とかで読んだり、テレビなんかで見るのと違い、やっぱり生の本人がすぐそこで話しているというのは、内容の伝わり方が格段に違うということです。
真っ暗なホールの中で、話を聞く以外にすることがないと言うのもありますが、微妙な息遣いやアクセントなどで、自分が体験したかのように理解できます。

で、結局タイトルの「本は今を生きる力」というテーマは、どんな話でも合わせられるように、あまり関係がなかったようです。
対話相手の賢そうなおっさんも良かったです。

トークイベントが終わると、本を買ってくれた人にサイン会が行われると言うので、もっと角田光代を近くで見たいがために参加することにした。

ハードカバー2冊と文庫本が何冊かあったが、文庫本にサインしてもらうのはいかがなものかと思い、ハードカバーの1冊を購入した。

千いくらだろうと千円札と小銭を用意していたら、販売のスタッフに2,300円と言われて、「え? 高っ!しまった!」と思ってしまった。








でも、もう出した手を引っ込めるのは恥ずかしいので、動揺を隠して購入した。
ちなみに買った本は「拳の先」という本で、どうも以前書かれた話の続編って感じだったから、前の話も知らないし、、さらに失敗したと思ってしまった。

周りを見たら僕以外だれも「拳の先」を持っていなかった。
みんなもう一つのハードカバーである1,700円の「坂の途中の家」を買っていた。
「拳の先」の装丁や絵のほうがかなり良かったので、完全にジャケ買いだったが、もっと周りを見るべきだった。

目の前のしけた感じの男が、何の迷いもなく文庫本を購入して、サインの整理券をゲットしていた。
しかも代表作の「対岸の彼女」だったので、それを読んでいないのは失礼なんじゃないかと思った。
あるいは読んではいるものの、この小説にサインをしてほしかったのか。
まあ、どう見てもそんな感じではなかった。

僕が本を購入したら43番の整理券だった。
ほどなくして、サインしてもらえる人の数が締め切られた。
のんきに本を購入していたが、50人までだったようで、危ない、危ない。

イベント後に会場を出るのが少し早かったのもあるので、ここはツイていた。
そう思うと、元々タダでトークを聞けたのだし、本はもらえるし、サインもしてもらえるし、なにより角田光代を近くで見れると思えば、2,300円など大した金額ではないと確信できるようになった。

どうやら写真は撮っていいらしく、みんな遠巻きに写真を撮っていた。
遠慮がちにみんな写真を撮っていたのに、文庫本を購入したさきほどのしけた男が、スタッフにガラケー渡してガッチリとツーショットを撮ってもらっていた。







写真を撮られる瞬間、キリっと顔を引き締めた。
しけたパーツが中央に少し集まった。

だけど、少しいいな〜、と思った。
僕は変に緊張してきて、さすがにそこまでしてもらう勇気がなかった。

かなり待たされたが、とうとう僕の番になり、角田さんが「ありがとうございます」と目を見て言ってくれた。
人気作家なのに、どこかおどおどしていて、逆に緊張しているようにすら見えた。


だけど、僕の方も思いのほかガチガチで、声が出なかった。
ただ、小さく「あ、はい、、」と言って、うなずいただけになってしまった。
「頑張ってください」という言葉でも言えば良かったのだが、考えてみたら、普段から「頑張って」と思ったことがない。

何冊か読んだ程度の読者だし、ただ知っている本物の作家に会いたいから来ただけという、軽めのファンだと完全に気づかされた。
だから素直な言葉がいざという時に出てこない。
もっと言えば、頑張っている人に頑張ってと言える立場でもない。

ただ、僕は1,700円、ましてや文庫本なのではなく、2,300円の本を購入していた。
2,300円は1,700円のファンと比べて600円も差がある。

思えば、ハードカバーの本なんて、5年くらい手付かずで1行も読んでいないマルカム・ラウリーしか持っていない。
だからハードカバーの本を購入する作家、というハードルの高さから言えば、僕はもうりっぱな角田光代のファンと公言してもいいだろう。


サインをしてもらい、帰りぎわ1〜2秒よく見たが、角田光代さんはすごく親切そうな目をしていて、作家先生という上からの態度はどこからも見られなかった。
謙虚、謙虚、の上にさらに謙虚を重ねたような感じで「私のようなものが〜」というオーラがすごくて、驚いてしまった。
嫌な言い方をすれば、人気作家で、数々の作品が映画化されて、ちょこっとテレビとかにも出ているし、きっとお金もたくさんもっている人が、ここまで低姿勢でいられるのものなのかと思ってしまう。
もちろん、だからこそ成功しているのでしょうけど、面食らったというのが正直な感想です。


会場から出てサイン本をすぐに数ページ読んでみた。
相変わらず、ものすごく読みやすくて、すぐに気持ちが軽くなる。
いろいろ面倒な事があるけど、これはこれでいいのだ的な感じが、きっとそうさせるのだろう。

表紙の裏に書かれた「角田光代」というサインをずっと見ていた。
少し平べったくて、味のある字体だった。




思えば、サインというものを生まれて初めてもらった。
続編の小説なんだろうけど、これはこれでいいのだ。

とりあえず、対岸の彼女の文庫本がしけた感じでヤフオクに出ていないか、毎日チェックしていきたいと思います。




















2016年5月16日月曜日

角田光代 トークセッション 1

小説家、角田光代さんのトークセッションに行ってきた。































STVホールでやっていて、運動もかねて歩いて行ったのだが、途中、朝食べた大量の卵焼きが歩きながら飲んでいたミネルウォーターと科学反応を起こし、肛門を激しくノックしたから、会場隣のヤマダ電機のトイレでかなり閉じこもってしまった。

この時、店に入ってすぐのところにトイレという文字が目に入ったのが、本当に本当にありがたかった。
大人パワーで2度3度の大きいヤマを乗り越えて、肛門の括約筋をフルの力で締め、絶対に漏らさまいとしていたが、とりあえずヤマダ電気まで、ヤマダ電気までという目標でズンズン歩いていたから、肛門を守る屈強な近衛兵が「店に着いたら開く」と言う設定にしてしまっているのに途中で気づいた。























そこで、いやいや、「店に着いて、トイレを探し、トイレを見つけ、男子トイレに間違いなく入り、トイレのドアを開け、便器のフタ開けて、肩にかけているバックを外し、ズボンをしっかり下げて、完全に便器に座るまで」という厳しい設定に上方修正した。
これはもう本当に無理難題で、全く守れる自信がなかったが、とりあえず、一ミリでも漏らしたら、もう角田光代は見れないと覚悟していた。

だから先ほども書いたが、店を入った途端に「トイレ」という文字があったときの喜びと言ったらなかった。
この「トイレを探す」という段階が削除されたのはものすごく大きい。
下手したらここの手間は、青天井で果てしない場合もあるからだ。

気温が高く、少し小走りだったので、大量の汗が止まらなかった。
だけどそんなジメジメした体も、完全にすっかり尻を丸出しにして、便座の上に座った勝者の前では心地よいものだった。
そして、腹痛の時や、こうした強力な便意を克服した時だけ思う「神」に感謝した。

だからイベント会場には15分くらい遅れて入った。
バタバタとしながら行ったので、初めてこの会場に入ったという思いなど全く感じなかった。
入り口に立つスタッフに参加資格のメールをプリントアウトしたものを見せる。
だけど、折りたたんだ紙を開こうとしている間に「どうぞどうぞ」と手を入り口の方向に差し伸べてきた。

中に入ってみると超満員だった。
ところどころ席は空いてたのだけど、もう角田光代さんはしゃべっているし、熱心に聞いているお客さん達の目の前を割り込んで座るは面倒だし、できない雰囲気だった。





だから、約1時間半ずっと一番後ろで立って聞いていた。
角田さんはどうして小説家になったのかなど、生い立ちからデビューするまでのきっと何度も繰り返し話してきたであろうものを、一人でよどみなくしゃべっていた。



続きます。














2016年5月13日金曜日

初走り 2016

今年、初走り。


だいぶ遅れたけど、ずっと寒かったのを理由に始めていなかった。
去年は割とまともに走っていたんだけど、あまり痩せなかったから、効果はそれほど期待していません。

でも一応、自分なりに勝ち取った習慣と思っているので、頑張ります。
年々、走れる距離が縮まっているけど、いいんです、頑張ります。

去年の秋から何にも運動していないので、心臓から肺、足腰などが醜い悲鳴をゲーゲーと吐きます。

絶望という最後の意味合い見たいのがチラチラ頭をかすめます。

そして、痩せます。

ベルトの穴を一つズレるのが目標です。

2016年5月12日木曜日

根こそぎ

実家の裏にある森を探索していると、巨木が根こそぎ倒れていた。


これは多分ここ一帯に絶対的な王として君臨し続け、僕が生まれるかなり前からあったくるみの木だ。

これだけの巨木が倒れたとあれば、相当な音が出たはずなのに、母さんに聞いてもいつ頃倒れたのかはわからないと言う。

おそらく、と言うか、風で倒れたのだと思うが、地面からはがれた根の部分を見ると、人外の力と力がせめぎ合い、お互い最大のパワーで折り合いがついた瞬間がそのまま視覚化されて残っている。

こんなもん、誰も片付けるはずないから、ずっとこのまま周りの木が育ち、コケが生え、何十年後にはきっと神秘的な光景になっているだろう。

だけど、この巨木、倒れたとは言え、まだ少し根付いている部分もあるので、このままの形で生きていけないのだろうか?
ちょっと興味があります。

ただこれ、僕しか見ていないんです。
もったいないなぁと思う反面、誰にも見せたくないと言う独占欲もあります。
このクラスの「根こそぎ」はそうそうお目にかかれないと思います。




2016年5月11日水曜日

いびつな世界

実家にいるあいだ、寝てばっかりいたので、何とか最終日に手伝いをもろもろ片付けた。
ひとつにミニ畑の土を盛り返して、馬糞をまく作業があった。


しかし改めて、馬のクソを蒔くなんて、ひどい光景だ。
捨てるはずの「クソ」をホーマックなどで買うというのは本末転倒の何物でもない。

それにしても、クソは作物にとって良いんだから、まったく自然とはよくできたシステムだ。


つまり↓





















という、一つ行程が多い、いびつな自然界なのです。









2016年5月10日火曜日

わかるよ、母さん。

連休中のファイターズは散々でした。

ホームでソフトバンク相手に一度も勝てず、しかもどれも非常に悔しい逆転負けばっかりでした。

母さんはいつのまにか、熱烈なファイターズファンになっていた。
父さんが生きている間は、野球のやの字も知らなかったのに。

あまりにも打たれるので、とうとう松田の打席で、


と、言い出した。

理由を聞いてみると、





よく打つのもあるが、それにしてもあまりにも打つので、もう存在そのものが憎たらしくなっているらしい。

でも、わかる。

僕も打つからとか、野球の技術ではなく、もう顔を見るだけで少しイラっとするのです。
きっと九州の方では復興が大変で、ソフトバンクの活躍は被災者にやる気と勇気をもたらしていると思います。

それに松田なんて性格も明るいし、マッチなどの愛称で野球ファン全体から愛されている選手なのに、それでも嫌いになってしまう。

ああ、そうだ、僕も松田の顔を見るとイラっとしてしまう。


わかるよ、母さん。


きっとこれはソフトバンクだからという訳でもなく、日ハムの選手だったとしても、イラっとしてしまう顔のパーツかも知れない。

そういう種類なんです。

そして今度は内川の打席になった。

とうぜん、







と言ってきた。

内川の顔はアゴが出ていて、右に変形しているから、いくら内輪の話と言えども、外見の事には気を使いたい。








内川は最近、被災した熊本にヒーローインタビューで涙を流していたくらい、いい奴なんです。

でも、でもー、我が母親がそう言ってくれるのであれば、僕ももう声だかに言いたい、たしかに、内川の顔は変形している分、むしろ余計にイラっとする。

これはもう、仕方がない。
もう、何と言うか、この事を言えないのが息苦しい!
スッキリと吐き出したい。


と言うか、母さんからしてみれば、ファイターズ以外の選手はみんな嫌いというか、好きになれないそうだ。
そのかわり、ファイターズの選手は全員かわいいそうです。

でも、確かに僕も全体的にファイターズの選手は愛嬌があるように思うんだけど、これは立派な偏見なのかな?





ちなみに工藤監督は、
















だそうです。

ダイエーから巨人に移籍するときに、行かないでくれというファン17万人の署名に手書きで7年かけて全員に返事を書いたという、信じられないくらいの人格者だ。

だけど、だけどーーー、わかるよ、母さん、僕も彼がベンチでニタニタ笑っているのを見るが、一番ムカーっときてしまう。

まあ、これもファイターズが札幌ドームでボコボコにされるからいけないんだし、結局、これだけ感情を動かすのだから、プロ野球は面白いと言うことです。








2016年5月9日月曜日

ネコと息子

母さんの寝室で猫が鳴くので、見に行こうとしたら、母さんが「ほおっておきなさい」と言ってきた。























なんでも、母さんのベッドで寝たいのだが、高さが自分の背丈くらいあるです。
老齢で足が悪いから、我々にあげてくれとの要求だそうだ。




だけど、母さんは近々旅行で家を空けるために、なるべく手は貸してやらず、自分で何とかするようにしつけているのだと言う。

そう説明をされている最中も「ニャー、ニャー」と鳴いている。
動物がお願いするのだから、本当に無理なのではないかと思った。

でも、しばらくすると鳴きやんだので、見に行ってみると、しっかりと自分でベッドに登ったらしく、中央でうずくまって寝息を立てていた。














これには少し驚いた。

動物でも甘やかせていると、自立しなくなってくるのだ。

「猫を見て思ったよ、お前にももっと厳しくした方がいいってね」

まさか、ネコと息子が同レベルだとはな。

連休中、延々と将来の事やお金の話をされているので、LINEレンジャーを中断して、自分の部屋に隠れた。







2016年5月6日金曜日

黄色い花

去年のゴールデンウィークに父さんの墓参りに行って

五月の墓参り

父さんの墓の周りだけ、黄色い花が咲いているというサプライズがあったので、今年も咲いているか見に行きました。

花は二日前に大雪が降るなど、かなり寒かったのにも関わらず、今年もやっぱりキレイに父さんの周りだけ咲いていた。



墓園自体はすごくこじんまりとして、水の汲み場をなく、簡素なものです。
もちろん、お盆でもないので、僕と母さん以外だれもいません。
だけど、黄色い花のおかげで、まるでここが墓場だと思えないくらい、ファンタジーな光景になっていた。
きっと普通の所だったら、この花はむしりとられてしまうかもしれない。

母さんがお供え用に黄色い花を摘んでいる間、墓を洗っていたら野ウサギが横切った。
初めは犬か猫かと思ったが、野生のウサギを見るのは初めてで、かなり驚いた。
呼人にもウサギがいた事にもビックリしたが、学校やうちの中で飼っているウサギとは違い、全く可愛いと言う感じはなく、足や手が隆々として、長く、何よりも筋肉のつきや、するどい眼光の具合がハンパじゃなかった。
ウサギと言うより、小さいカンガルーと言った方がいいかもしれない。

別にこちら側を怖がる訳でもなく、墓の周りを自由気ままに飛び跳ねていた。
父さんはウサギ年だったし、きっとあれは喜んできた父さんだったのかもしれない。

また来年も来ます。