作詞家の岡本おさみさんが亡くなった。
11月30日。
享年73才。
落陽(12月2日記事)や襟裳岬(11月22日記事)などで最近彼の詩を取り上げていたいたので、何とも感慨深い物があります。
そして色々と調べたので、知れば知るほど詩情豊かな人だったと思います。
昔のフォークシンガーは若い頃に売れるとそれこそスターダム街道まっしぐらで、庶民の気持ちを経験できずに大人になる。
大体、歌手になろうとする才能があって、ましてや成功してしまうような人に普通の感覚が宿るはずがない。
吉田拓郎なんかはわりとすぐにデビューしてまったので、言いたい表現のネタが切れた。
悩みと言っても誰もが経験する事のできない「時代の寵児」の気持ちを詩にしても共感してもらえない。
そこに現れたのがこの岡本おさみだったのでしょう。
どこにでもいる普通の若者が一人でたっぷり旅をして、たっぷり言葉を何冊もノートに埋めていた。
そこにはあの時代の空気そのものが詰まっていて、全く新しい匂いがあったと思う。
それは吉田拓郎のキャラクターイメージそのものだったから、この青年と吉田拓郎を引き合わせた人もまたすごいと思います。
彼の書いた詩で落陽、襟裳岬に負けず劣らずの名曲「旅の宿」というのがあります。
敬意を称してこの詩についても言いたい事がたくさんあります。
旅の宿
浴衣の君はススキのかんざし
熱燗とっくりの首つまんで
もういっぱいいかがなんて
妙に色っぽいね
ぼくはぼくであぐらをかいて
きみの頬と耳はまっかっか
ああ風流だなんて
ひとつ俳句でもひねって
部屋の灯をすっかり消して
風呂上がりの髪 いい香り
上弦の月だったけ
久しぶりだね月見るなんて
ぼくはすっかり酔っちまって
きみの膝枕にうっとり
もう飲み過ぎちまって
きみを抱く気にもなれないみたい
出だしの「浴衣のきみはすすきのかんざし」が落陽、襟裳岬にも言える事だけど、すごくハマってます。
この一行で情景の雰囲気や臨場感をほとんど表現しきっている。
すすきをかんざしにする事で芸者を装った女性の悪ふざけがわかる。
ようは、、ああ、そうです、いちゃいちゃしているのです。
それにしても見事。
おそらく出だしの一行はどの曲もすごく神経を使っていると思います。
時間がゆっくり流れて男が理想とする夢のような時間を余すところなく表現している。
そして何より若い吉田拓郎の無骨でありながら繊細な感じもよく出ている。
もう飲み過ぎちまって
きみを抱く気にもなれないみたい
と最後に締めくくるこのエロさが何より世の男性の心を確実にとらえたと思います。
何と言ってももうアレもいいやってなるのですから。
これが普通の家にいる夫婦ならわかるが、ここは旅の宿です。
おそらくそういう行為も含めて二人で部屋をとっているのにも関わらず!
ちょっと興奮しすぎました。
悪いクセです。
このほろ酔いからのちょうど良いいいかげんさ、心の余裕感、器のでかさなど、いい男の感じが出ていますが、それと同時にまるで母親の腕に抱かれている子供のような時のうつろいがある。
とにかくここには政治的なイデオロギーもなにもありません。
戦い疲れた世の男性に「これでいいじゃないか」という本来日本人が忘れてしまったものを目の前に見せてくれたと思います。
映像装置なしで。
水木しげるや野坂昭如など今年も多くの有名人が亡くなったけど、この人が亡くなったのは僕の中で意外とかなりショックでした。
でも言葉はこれからも永遠に残る。
その残り香は少しずつ弱くなっていくけど、共通の財産となって、きっと別の形で蘇るでしょう。
詩集とかでないのかな。
出たら買おう。
若い時に書きためたたノートも見て見たいが、晩年の詩も見て見たいです。
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