続きです。
流木を切ったり、炭を細かく砕くのに使ったナイフで野菜を切る。
ナイフってこれしか持ってこなかったけど、一人なので多少の汚れとかは気にしないでやれる。
だけどまさか野菜を切ったりするとは思わなかった。
玉ねぎは半分も使えば十分な量だった。
人参も売っているモノが2個が最小だったので、多めに入れてもまだ余った。
ナイフで雑に切って入れたので、いくつか外に出てしまった。
ちなみにゴミは徹底的に持ち帰った。
管理されていない所こそキレイに立ち去りたい。
と言うのは建前で、本当は夜寝ている間、野犬などが来るのが怖かったから。
野良猫でも怖い。
いやむしろ、生き物ならいい。
最近、YouTubeで怪談ばかり見ていたせいで無駄な想像力がついてしまった。
少しでもその方向を考えると本気で怖くなるので、キャンプ中は考えが変な袋小路に迷わぬよう常に注意を払っていた。

話は戻って、豚肉も投入。
火はすぐ収まるので大体5分おきくらいに割り箸や流木を入れる。
流木はどうしても水分を含んでいるので、燃え移るまでかなり時間を要する。
だけど本格的に点火したらしばらくほっておいても大丈夫だった。
そして、いぶった時に出る煙の匂いがすごくいい匂いだった。
味付けは塩とバジルで。
バジルの香りが豚肉の匂いと混ざって、料理しているって感じになった。
まあ、この後カレー投入するので味的には何にも関係無くなるのですが、、。
色々とせわしなくカレー作っていると本格的な夕日が始まりつつあった。
夕日は沈むのが早い。
一度手を止めて、見入った。
ビールを飲みながら、iPhoneで音楽をかけてしばし休憩。
周りに誰もいないので、いくらボリュームを上げようと関係ない。
と言うより波の音の方が大きい。
波ってかなりの音量だと改めて認識した。
今回、初の試みで動画を載せて見た。
本当にいい夕日で、この短い時間でとんでもないものを見た。
あまりに当たり前の言葉で見逃しがちだが、芸術は自然の美しさから学べと言う事。
言い方は違えど、ほとんどのアーティストが言っている。
彫刻家の佐藤忠良展を見に行った時、本人が所蔵していた本の展示もあった。
ロダンの言葉集を愛読していた様で、何度もよく読み込まれていた独特の雰囲気があった。
そこに「自然こそが美の根源」という事が再三書かれている。
その教えを忠良は生涯忘れる事無く、自然に目を向ける事を毎日怠らず、デッサンを繰り返していたと言う説明文を最近よく思い出す。
「自然こそ美」
全て黄金律の賜物。
何も美しい景色だけが美ではない。
そこら辺に落ちている石や小枝だって美しい。
それともう一人冒険家 植村直己の最後の言葉が本当に美しい。
君たちに僕の考えを話そう。
僕らが子どもの頃、目に映る世界は
新鮮で、すべてが新しかった。
やりたい事は何でもできた。
ところが年をとってくると疲れてくる。
人々は諦め、みんな落ち着いてしまう。
世界の美しさを
見ようとしなくなってしまう。
大部分の人は、夢を失っていくんだよ。
でも、僕はいつまでも子どもの心を
失わずにこの世に生きようと思う。
不思議なもの、
すべての美しいものを見るためにも・・・
いいかい、君たちはやろうと思えば
何でもできる。
僕と別れた後も
その事を思い出してほしい。
やろうと思えば何でもできるんだ。
植村直己 42歳の時に
この言葉が僕が今年キャンプをやろうと思ったきっかけだった。
自然の美しさや厳しさに触れてみたくなったし、おそらく知らないのはもったいない様な気がした。
これからは得るモノよりも失うモノの方が多くなる。
取り戻そうとしてはいけない。
大事にするだけだ。
そんな風に一人で悦にひたっていたら、具材を全部こぼした。
全てを失った。
もちろんこれも取り戻す事はできない。
続く。
0 件のコメント:
コメントを投稿