2014年3月10日月曜日

引っ越し7

少しずつダンボールから荷物を取り出していますが、とにかく中々片付かない。。
まずはどこに何をどうしまうかが決まっていない。
なので、今やっている事は大雑把にこれはこっち、これはあっちと言う具合に寄せているだけです。
そしてすっごい捨てまくって生き残った物達から、さらに間引いて捨てまくってます。
持って来たはいいが、一体これのどこが必要だと思ったんだと言うものが沢山出てきました。

CDもどうしようもない物は思い切って捨てました。
CDに関しては全てデータとしてMacに入っているので、邪魔でしょうがないのですが、かと言ってMacで音楽を聴くかと言うと、味気ないのでCDラジカセで聞いています。

理由としては、と言うか言い訳としては、どうもマウスをクリックしてパソコンから聴くと、聴き手の自分が部外者のような感覚になる。
CDで音をかけると、あくまでも所有者である僕がこの音楽を選んでかけたって言うのがあるから、かなりの割合でその音楽は僕の物だと言う錯覚からの独占欲が満たされる。

何が言いたいのかと言うと、この音楽が良いと思える自分を認識したいので、ケースからCDを取り出して聴く方が、より満たされると言う事です。
多分これはかなりわかってもらえるような気がします。
ああ、でもここまで言ってもデータになっているCDは邪魔だと言う思いが拭いきれないです。

まあ、CDよりも一番多いのは本。
本に至っては一度読んでから、もう一度手にして読む事は稀で、でもそのすっごい稀な時の為に並べておくっていう具合です。
その「稀」ってどのくらいかと言うと小説なら2〜3年に一度くらいです。
もうしばらく本は買いません。
すでにちょっとした図書館になってしまったのだから、後はこれらを読み返すだけにします。
大江健三郎が言ってました。
「本当の読書とはリリーディング(再読)だ」と。


改めて所有物を確認してみると、買った経緯など思い出して今まで考えていなかった角度から自分がわかる。
持っている本でどういう人間かある程度わかると言いますが、虚栄心やら背伸びしている見たく無いものまで、わかってしまいます。


次にオブジェ。
僕は割と立体物が好きで、良く一目惚れで衝動買いしてしまいます。
買ってしばらくはいいのですが、しばらくすると見飽きた風景と混ざり、何のトキメキ
も感じなくなります。

そうなるとオブジェなぞは何の役にも立ちません。
全部、物の価値としては最低賃金のペーパーウェイトへと集団就職です。

基本的にオブジェと言うものは、周りに何もない状態で見るのが一番美しい。
キレイに並べて置いても他の個性や色と反発し合って価値が下がる。
これに関しては、十分なスペースを取って、月に一度置物を変えるようにした方がいいのかもしれない。
元々はそう見られて初めて価値が出ると思います。
なので残りは押し入れ行きでごくごく個人的な巡回展覧会みたいにしてみる。

あとは思い出の品々。
母さんからの手紙はかなりの量で、A4のファイル3冊くらいあります。
読み返しても、元気かとか、貯金しろだの体が痛いだの、同じ様な内容です。
だけどこれは将来僕が老人になった時にしみじみ読み返す風景が浮かぶので、捨てれません。
それと友人達からいただいた物。
これも消耗品ならいいのですが、妙にキレイなまま残っていると、捨てるのが申し訳なく思ってしまう。

あとは着れなくなった値段の高い服。
これらもダイエットして痩せたら着ようと思っていても、さらに太り続け5〜6年過ぎています。

合理的に考えるとこれらの物は全て無駄なのかも知れません。
そして物事は何でも増える傾向にあると思います。
いい事も悪い事も少しずつ蓄積して増えていっている。
その中で減らす行為と言うのは、知性を磨く行為と前向きに考える事を怠っていない生き方かも知れません。
何事も執着から解放されるのがいいのでしょうけど、おそらく自分では感じる事のできない執着している事からの脱出は無理なのでしょう。

それとは別に何か思い切って捨てた時は「捨ててやったぜ」と自分に勝った気持ちになります。
現時点でも日々何か増えて行ってます。
インプットとアウトプットの量を同等にしたいです。
物に勝たねば。





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