オスマントルコ帝国の船は完全に静まり返っていた。
キリスト教徒側は、ジェノバ人の希望通り、初めに決行する予定だった日より四日後の夜半に船を出した。
先頭の大船二隻に続いて、ガレー船も二隻、40人の漕ぎ手が一糸乱れぬ櫂の動きで音を立てずに進む。
さらに動きの速い快速船が大船に隠れるようについていき、その両脇と背後には松ヤニや硫黄や油などの可燃物を満載にした小舟が何艘もついていく。
出港直後にガラタの塔で何か一つ閃光に似た光がきらめいた。
トルコ軍への信号かと思ったが、トルコ艦隊には少しも変わった様子はない。
船団は前進を続ける。
作戦としては密かに敵艦隊に近づき、可燃物を敵船に投げ込み、それに火をつけた後、敵船の錨を切って逃げる事だった。
仮に戦闘になっても四隻の大型船が充分にその力を発揮する段取りだ。
しかし
敵船に接近したその時、突如、岸から大砲の火が吹いた。
轟音は間髪も置かず、次々と鳴り響く。
次々と大砲の弾が小型船に命中する。
可燃物を積んでいたので見る間に火だるまとなり、沈没していく。
これはもう海戦ではない、岸から固定された大砲の弾が届く限り、陸上戦と同じになった。
大型船も無傷ではなく、何発も砲丸を受け、帆柱は吹き飛ばされ、船長のトレヴィザンや多くの船員が備え付けの小舟で命からがら逃げ出した。
撃沈した船の乗組員たち40人がトルコ兵の待ち構える岸に泳ぎ着いたが、メフメト二世は、その全員を陸側の城壁から見えるところまで引きずり出し、残虐なやり方で殺させた。
この敗戦によりヴェネチア人はジェノバ人の裏切りだと断定する。
なんといっても、ジェノバ人が住む居留区のガラタの塔で光による合図があったからだ。
そして四日も決行日を先延ばしにした理由も、船の用意ができないからではないように思えた。
これはこの戦争が終わった後にトルコ側から少しでも、良い条件で存続を願うジェノバ人の策略だったかもしれない。
それでもジェノバの居留区からはその後も何度か救援物資が運ばれてきたり、自ら戦うつもりで防衛軍に志願してくるガラタの住民が一段と増したりした。
ヴェネチアの船が砲撃を避けて居留区に逃げ込んでも、かくまってくれたりもするようになったので、ジェノバの中でトルコ派とキリスト教徒側にかなり別れていたのだろう。
そのような事もあって、ヴェネチア人とジェノバ人はお互いに非難の口を閉ざすようになる。
幸福も人々の心を開くのに役立つが、不幸もまた、同じ役目をする事もある。
この話は、負ける事を分かっている戦いについて語られる物語で、バッドエンドなのはわかっていて読むものなのです。
それにも関わらず、読んでいて、どっか勝つのではないかと思ってしまっている自分がいました。
逃げまどい、破壊され、殺されるだけの話を負ける側に立って淡々と知っていくという行為は、いつもどこか救われる多くの話と違って、自分の都合のいいようにことが運ばないという哀愁がある。
というか、世の中にある魅力あるお話というのは、必ずモヤモヤした解決されないものを読者に植え付ける。
結局、悲しいことを求める我々の余裕ある娯楽なのかもしれない。
この後、海側を制したオスマン帝国はこれから満を期して、陸側の三重の壁を叩きに叩きまくるのです。
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