攻城戦。
孫氏の兵法書では「防御に徹する守備側を攻略することは容易ではなく、
攻城は下策で最も避けるべき」と述べられている。
確かに素直に考えて、上にいる敵を下から戦うのは本当に不利だと思う。
まず上にいる方は視界も開けているし、重力の力も加わるので少しの体力で下からくる相手に対して何倍もの戦闘能力を発揮できる。
ここでよく城を攻める方はハシゴをかけて登るのだが、上にいる方はこのハシゴを押し返してしまえばいいのでは?という意見がある。
でも実際にはハシゴの先にはカギ状の爪が壁の隙間に引っかかり、なおかつ大勢の兵隊が登ろうとするので体重が乗って外れないようだ。
それでも上から、油をかけられて滑ったり、大きい石を何度も投げられるので多大な被害を受ける。
だから序盤は攻城塔という
このようなやぐらを作って城壁より上から兵士をどんどん送り込む。
だけどこの攻城塔を作るのはすごい時間がかかって、壊されたりもするので、局地的なところではやはりハシゴをかけて攻めたのだと思います。
コンスタンチノープルの3重の壁は地上最強の城壁だったので、攻める方としては、他の攻城戦とは比べようにならない相当な被害を覚悟しなければならない。
そしてさらに壁の外には深い堀が掘ってあるのです。
だからオスマン帝国としての初めの仕事としてはこの堀を埋める事から始まった。
だけどその間も大砲による攻撃は続けられる。
オスマン帝国はまず第一に大切なのは最新鋭の武器、大砲。
その次に運搬用の牛。
牛より価値がないものが不正規兵だった。
だから堀を埋めている兵士が大砲によって吹き飛ばされようが、せっかく作った土台が壊れようが、お構いなしに作業は進められた。
そして死んだ兵士は無造作にそこらへんに捨てられて土台の一部となる。
そんな人を人とも思わないメフメト二世による兵士の扱いを東ローマ帝国の兵士はなすすべもなく壁の向こうから見るだけだった。
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