過去に一度だけコンスタンチノープルは西側の同じキリスト教徒の十字軍によって占領されたことがあるが、それは金角湾を奪われて海側から侵入されたからなのです。
だからオスマントルコ帝国の船団がまだ準備し終える前に奇襲の案をヴェネチア側は皇帝に持ちかける。
相手は何と言っても海戦が苦手な相手なのだ、急な対応にバタバタするに違いない。
皇帝もその作戦には賛成してお願いするが、ヴェネチア側は隠密かつ敏速に事を運ぶ為に、この作戦にはヴェネチア人だけで構成したいという事も言ってきた。
決行日は明日の24日の夜に決まった。
だけど、どこから漏れたのか、その作戦がジェノバ人の耳にも入り、彼らは大勢でトレヴィザンの元にやってきた。
そして海戦において自分達をのけ者にするとは何事かと訴えてきた。

皇帝の方も兼ねてから、ヴェネチアとジェノバは仲良くしてもらいたいし、平等に扱うよう気を配っていたので、ジェノバ人の要望を認める。
トレヴィザンとしても皇帝の願いをしりぞける権力はないので、渋々ジェノバ人も船一隻とともに参加する事を決めた。
一歩引いて、兵は多いに越した事はないのが何よりもの理由だ。
しかしその日の午後になってジェノバ人の船乗りたちは適当な船が日没まで用意できないと言ってきた。
だから四日後の28日まで決行を延期すように主張する。
ヴェネチア人は一刻の無駄も致命的な時だから、当初の予定通りヴェネチアだけで決行すると怒り狂った。
だが、頑固なジェノバ人も猛反発して、話は進まなくなり、時間もいたずらに過ぎていくので、結局日付をずらし、奇襲作戦は四日後の28日となる。
陰謀というのは知る人の数が増えれば増えるほど、また決行日が延びれば延びるほど、露顕の可能性も高まるのです。
この時、こんな緊急時になぜこんな事になってしまったのか。
それもこれも先の海戦で大手柄をあげたヴェネチア、ジェノバ共々、歴史ある眠っていたプライドが目を覚ましたかもしれない。
塩野七生さんはヴェネチア人が好きだから、ついついジェノバ人には否定的になってしまうっぽいが、これは僕でもジェノバ人に腹が立った。
それにしても四日はひどい。
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