皇帝の方はメフメト二世へどうか攻めないで欲しいと密使を何度も送ったが、答えはノーだった。
もちろんタダでとは言わない、多額の年貢金を毎年収めるとも言ったのだが、返事は皇帝がコンスタンチノープルを去る事だった。
だけどもし去るのであれば、残った臣民の命は保証すると言うものだ。
皇帝は屈辱を受けて腹たったが、一応、再び年貢金の増額を申し出たがメフメト二世の返事は同じだった。
オスマン帝国の軍隊が近づいているとの報告が日増しに増えて行くと、連日行われている東ローマ帝国首脳会議の回数も多くなっていった。
だけど、助けに来た西欧のヴェネチア人はギリシャ人が嫌いだった。
何故かというと、こんなに国が危機迫っているというのに、まだ宗教談義で熱く意見を交わしているからだった。
実際、若い修道士なんかは即戦力になり、国を守るために戦わなければならないはずだだ、戦わないのです。
何をやっているかと言えば、お祈りであって、よくこんな事が許されると思う。
本当に何でだろう?
そのぐらい国全体が宗教を基盤として成り立っている証拠かもしれない。
こう言うギリシャ人にしても西欧のヴェネチア人をいいように思っていなかった。
自分の国でもないのに、守ってやっていると事あるごとに言われるが、何の事はない、自分たちの商業利権を守りたいからと言うのはあからさまにわかっていた。
カトリック教会のイシドロスは何度も西と東を往復して、キリスト教統一の話を進めたが、東ローマ帝国の宰相ノタラスが大反対してぶち壊した。
これには過去に西欧のキリスト教十字軍がコンスタンチノープルを乗っ取ったという恨みがまだ根深く残っているので、仕方がない部分があります。
ヴェネチア人とジェノバ人も仲が悪かったが、皇帝はどちらの立場も考えて、海軍総指揮にヴェネチア人のトレヴィザン、陸軍総指揮にジェノバ人のジュスティアーニを採用して場を収めていたくらい、すごく気を使って全く威厳などなかった。
オスマン帝国はメフメト二世の専制君主の元、全てがシンプルに物事が進んでいったが、東ローマ帝国はとにかく、東ローマ帝国、ギリシャ人、ヴェネチア人、ジェノバ人、カトリック、正教会、などなど、様々な分裂要素から全くまとまりがなかった。
ここでこの地図を見てもらいたい。コンスタンチノープルから金角湾を挟んで、対岸にあるのが、ジェノバ人だけが住んでいる特別区域のジェノバ居留区だ。
だけど、東ローマ帝国との間に鉄の鎖を敷いてしまった為に、メフメト二世に何度も使者を送って、東ローマ帝国が勝手にやった事だとか、説明に奔走していた。
だから東ローマ帝国の会議室の本音は
ということだった。
コンスタンチノープルが陥落したら、自動的にジェノバの居留区も滅ぼされるのに、何を中立などとほざいて粘っているのか。
実際、東ローマ帝国が滅亡した後、サクっとメフメト二世に占領された。
何世代もその土地に住み着いているので、どうしても動かない人たちが多かったのが理由だが、最もコンスタンチノープルにしても、ジェノバ居留区にしても、頭のいい裕福層はこうなる何年も前から資産を西欧に移して逃げてしまっていたのです。
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