2014年2月24日月曜日

日ハム新聞

引っ越しの準備で忙しい日々が続いてますが、部屋の奥からこんなものが。


日ハムがパリーグ優勝した時の新聞。
この時は個人的に大変盛り上がって、とても楽しかったです。

クライマックスシリーズももつれて、対ソフトバンク戦はとにかく面白かったです。
最後に立ちはだかった斉藤も最後の最後、稲葉の外野に抜けそうなセカンドゴロの間にひちょりにホームインされて倒れた。


泣き崩れるスザンヌの旦那さんを暴れん坊のズレータが気遣う。
ただこの時の斉藤は本当に完璧で、全く打てる気配と言うものがなかった。
僕の中で伊藤智仁の次に打てないと思わせた投手です。
この完璧な強さをもう一度見てみたかったが、結局これが最後の斉藤和巳になろうとは思いもしなかった。
この後6年間ソフトバンクには在籍したが、とうとうまとな登板をすることなく引退。


最後決めた稲葉の次が新庄だったので、この時は少し残念だったけど、そんなぜいたく言ってられる状況でもなかった。
とにかく皆でこのハッピーストーリーを完成させようと躍起になっていた。


紙面のほとんどは新庄、新庄。
少し他の選手が可哀想だった。

でも今思うと

1番レフト  森本
2番セカンド 田中賢
3番サード  小笠原
4番DH   セギノール
5番ライト  稲葉
6番センター SHINJO

と全く隙がなかったすごい打線です。
まあ、優勝するチームって感じです。
特に大当たりのクリーンナップが終わっても、何が起こるかわからない新庄がいたのは強みだったと思います。


そして対中日による日本シリーズ。
ここでちょっとしたドラマがありました。
ペナントレース最後の方で勝利数9勝の金村が5年連続二桁勝利を狙って今年最後になるであろう登板試合があった。
だけどヒルマンは勝利投手の権利が発生する5回を投げさせないで、4回2/3、あとワンアウトという所で交代させた。
当時ヒルマンは本当に優勝しか頭になかったから、おそらく金村のそんな記録を忘れていたかもしれない。
実際ランナーも背負って、もう今にも打たれるって感じだった。

だけど金村はその交代に激怒してマスコミに対してヒルマンを痛烈に批判した。
その頃はダルビッシュが日ハムの事実上エースのような感じだったので、角番エースとしては鬱憤はたまっていたと思う。
でもその後球団から手厳しい制裁があり、本人も来年の残留とかもろもろ考え冷静になり、ヒルマンに謝罪して日本シリーズ4番手で出してもらった。

そのピッチングはヘロヘロで毎回ランナーを出し、玉数も100球を越えてどうにかこうにか抑えた感じだったがとにかく金村の必死の形相が凄まじかった。

意地。

気持ちだけではどうにもならないけど、少なくともこの意地だけはかなり伝わってきた。
そして勝利投手の権利がもらえる5回を無失点で切り抜けた時は鳥肌がたった。
僕は新庄劇場よりこの金村劇場が出来過ぎていて、かなり面白かった。


まあ、だけどそんな金村のすごいエピソードもこの人に全て飲み込まれた。


そして日本一。
監督より先に胴上げされるという異例中の異例。



ヒルマンも「シンジラレ〜イ」など名言で頑張ったのだけど、最終的にはやっぱりこのモンスターが持って行った。


その後もちろんヒルマンも胴上げ。









そして翌年。
新庄なしでも優勝。
日本シリーズは去年勝った中日に負けたけど。。


この年はダルビッシュ一色。


抑えのマイケルが優勝した瞬間駆け寄らないでマウンドで待っていたのが個人的にちょっとイラっとした。


麻原彰晃。


ひちょりのそっくりさんで空港パニック。

こんな懐かしいものが出てくるたびに引っ越し作業がストップしています。
ちなみにこの新聞は全て捨てました。
ここに記録として残しておきます。









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