2014年2月4日火曜日

俺から水を飲んでくれたぞ

24軒に新しく「まいばすけっと」なるものができました。


昨今、コンビニがミニスーパー化して、野菜から日用品まで何でも売る様になり、イオンが本気で守りにきた感じです。


中に入ってびっくり。
コンビニのスペースなのに、商品の種類はスーパーとひけをとりません。
全くととらないといってもいいです。
全てが充実して、なおかつコンビニより安めです。

家の近くにあったらいつも利用していまいそうです。

そんな「まいばすけっと」に驚いていると、母さんから電話が、、。

「○○のおじさんが死んだわ」

正直もう大人になってからほとんど会った事はなかったが、僕の今まで見てきた善人の中でもトップレベルの人です。
昨日まで元気だったのに、朝になったら死んでいたそうです。
心筋梗塞。
ある日突然いなくなるのは交通事故でもそうですが、嘘の様な感じで悲しみ方すら忘れてしまいそうです。

このおじさんは僕がまだ小さい時、囲碁の相手にお父さんに連れられてよく家にお邪魔しました。
父さんは酒を飲めないので、タバコをバカスカ吸っていたけど、対戦相手のおじさんは酒を飲みながら顔を真っ赤にしながら打っていました。
幼い僕から見ても、いつもニコニコしていて、全く毒がない人だとわかった。

実は何にも話した事がなかったけど、心の底からやさしさが滲み出ている人で、そばにいるだけですごい安心できる空気を持っていました。

聞いた話ですが、仕事で木が倒れて下敷きになり、片方の足が粉々になって、うちのお父さんが見舞いに行った時
「もう、俺はダメだ」と泣いたのを
「何言ってるんだ、まだ片方あるじゃないか」と父さんが励ましたそうです。

まあ、足はその後何とか治って良かったのですが、その40年後、今度父さんがガンで亡くなる時に見舞いに来て、父さんの体をかかえては水を少し飲ませて
「よし、俺から水を飲んでくれたぞ」と喜びながらひどく悲しんでいたそうです。
僕はこの2つの話を別々に違うところから聞いたのですが、きっとお互い40年前の事を思ったのではないでしょうか。
そして「俺から水を飲んでくれたぞ」はもうあまり意識もはっきりしない父さんから、しっかりと自分の存在を確認してくれたという自負だったのではないか。
それほど父さんとの関係を大事にしていたという事だったのではないか。
それもこれもあの人柄のいいおじさんならそう思ったに違いないという僕の思いです。
どちらも呼人でその人生の大半を過ごして終えましたが、宝石の様に僕の心に輝き続けています。
決して人類の歴史には残らない、一地方の人間ですが、ああいう人でなくてはと思うし、そういう良い所はできるだけ受け継いで、今度は僕がそう言う人間になって、誰かに見てもらいたい。

僕も人生の折り返す年齢になり、だんだん本当に命に限りがあると言う事がわかってきます。
いつ死ぬかわからない。
いつ死んでも悔いが残らないように、その日、その瞬間を真剣にありがたく生きなくてはと思います。
ひどく使い古された言い回しだけど、結局はそれしかない。
明日はもっと刺激的な事が舞い込んでくると思って頑張るしかない。





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