2016年6月15日水曜日

徒歩シャコ 3

さあ、ここからやっとメインの徒歩が始まる。


積丹余別のバス停から20メートルくらい歩いたら右手に閉店した酒屋があった。
別に普通のよくある光景だが、よくみると、


左下に「本日の価格」と銘打って、キリン淡麗の値段が板の組み合わせで変えられるようになっている。
まず、なぜキリン淡麗限定なのか。
それと、こんな殺風景な所で「本日の!」と言われても毎日どれほど気にしている人がいたのか。
もう一つ、周りにとくにライバル店もないのに、なぜ「激安」とアピールする必要があったのか。

いずれにしても、もし僕だったらこんな憶測をされるのがイヤだから、去る時に看板くらい剥がしていくとおもいます。


当然、こういう家がチラホラあって、潮風からの侵食のように、人口は確実に減っていっている印象をうける。


しばらく歩いていると、バスでの乗り物酔いも改善された。


ずっとバスに閉じ込められていたので、歩くのが楽しかった。
しかも、こんな見知らぬ土地の海岸をひたすら歩くなんて経験したことがない。
これまでの人生を振り返っても、歩くところなんて、意外とそんなにパターンがあるわけではない。


変な形の岩が見えてきた。
結構おもしろい感じなのに、ギリ注目されてない感じだ。


よく動物の形に似ているから、いろいろ名前がつきそうなもんだが。


僕が近づくまで待っててくれて、ありがとう。


まあ、こんな岩にいちいち名前をつけていたら、キリがないのかも。
何と言っても奇跡のローソク岩と比べたら、どうでもいい。


道幅はバスの中から見た時はほとんどないように見えたが、人ひとり分くらい路肩あった。
それでも、後ろからくる車の中には中央線をはみだして大きく避けるのも多かった。


トンネルはとにかく音がうるさい。
車がまだぜんぜん入ってくる前から、近づいてきただけで、かなりの爆音となる。
夜だったら絶対歩けないんだろうな。



トンネルを抜けると、なにやら「史蹟 しゃこたん場…」とかなんとか書いてあり、きっとニシン関係のものだろうとおもうが、あとからネットで調べてもよくわからなかった。
別に当時の建物が残っているわけでもないし、残そうとする意欲が全くない。
まあ、誰かがいて何かしたんだろう。
そりゃ、誰かがいたら、なんかするさ。
しかし、宝永3年と書いてあるので、かなり古い。


歩いているとヒマなので、ちょくちょく画像を撮っていた。
まだ目的地のキャンプ場は全然見えてこない。


わりと立派な神社があった。
海岸沿いにはとにかく海の安全を願って鳥居が建てられる。
この神社、「神威神社」と言い、その立派な名前を冠する通り、源義経が落ちのびた伝説が残っているらしい。
義経の伝説もここで終わらず、チンギスハーンとなるんだから、まだまだ旅の途中と言った所か。


あの岩の向こう側まで歩くのかと、思うと少々うんざりしてきた。
水は小樽駅で買った350ミリリットルのペットボトルを大切に飲み分けていた。


ゴムボートでどこかへ出ようとしている2人。
こんな誰もいない所で何やってんだか。







封鎖されたトンネル。
確実に幽霊が出そうだな。


3回目くらいのトンネル。
ここくらいで1時間は経過していたはず。
もう、完全に徒歩トランス状態になっていて、何にも考えていなかった。
ただ、靴がアスファルトを踏みしめる音だけで、波の音も車が行き交う音もあまり耳に入ってこなかった。




たぶん、あの向こう側の岸がキャンプ場だ。
肩と腰の痛みは以前のモラップの時比べて、だいぶマシだった。



歩道にまたがって生えてくる草もなくなり、歩きが快適になる。
海からくる風がきもちいい。


こんな所に温泉を発見。
今度車で来た時はキャンプ場からちょっと離れているが、ここの風呂に入ろう。
シャワー室とかあるので、おそらくサーファー客目当てで商売をしている。


やっと岩ではなく、砂浜が見てきた。
もう、近いはずと思いながら、まだまだあるんだろうと思っていたら、


意外と目的地のキャンプ場が現れた。

到着。

時刻は1時30分。

驚いたことに全く疲れていない。
まだまだ、歩きたいくらいだ。
これなら今度の徒歩キャンはもっと距離伸ばしてもいいな。

とは言っても、バスで通り過ぎたあの長い距離を歩いてきたんだな。
徒歩ってけっこうすごいな。

続きます。













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