最近全く本を読まなくなった。
いや、読まなくなったとは言えない。
ほとんどがiPhoneで本を読むようになってきている。
本のデジタル化は好きになれない派だったが、いつのまにか時代の流れと言うのだろうか、一言で言えば便利すぎる。
気になったページや言葉などは細かく印して保存できるし、何よりいつどこにいてもすぐ読める。
そして本はクラウド上にあるので失くす心配もない。
地下鉄とか公共の場でも本の表紙を恥ずかしさから隠して読む事もない、そこはただスマホを見ている人と周りからは映るだけだ。
そして部屋にある今まで読んできた小説やら資料の本が邪魔臭くなってきた。
ほとんど一度読んだら手に取った事ないのに、ずっと有り続けるのはいささかどうなんだろう?と思う様になってきた。
そしてその一冊一冊が何時間も時間を奪う内容の恐ろしいもののようにも見えてくる。
読むのが遅いので小説1冊でも何日もかかる。
もっと言えばこんだけお金をつぎ込んだのだから、もうちょっと役に立てなければダメだろうと言う罪悪感も感じる。
だから本棚に関して日々うっすらとした脅迫めいたものを感じている。
でもデジタル化が進むとCDのジャケットや本の装丁というデザイン面での文化がすたれてしまうかもと心配です。
デジタル化が進んだ昨今、ジャケットや装丁で全員が共通のイメージを持っていないと思う。
でも逆にイメージの固定化を防げるかも知れないので悪い事ばかりでないか。
物のイメージよりも、形のない知識としてこれからはとらえれるようになる。
そう考えると、これからの世代と価値観の違いがいっそうはっきり出てくるかもしれない。
これからも世の中のスピードはどんどん上がって行く。
気づけばiPhoneを片時も手放せない体になっている。
こうなったら将来人間はスマホを埋め込んでしまうかも知れない。
そうなるときっと誰かに操作されて一生を終えるような気がする。
実際今も半分そうなっていると思う。
とは言え、僕の中の政府はデジタル化を推進している。
中には本の処分に対して保守派の抗議運動やデモの声が時おり聞こえるので、思い切ってとまではいかないけど、ある程度選別して倉庫に隠してしまおうか検討中です。
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