2015年11月5日木曜日

襟裳岬

最近TSUTAYAから借りてきた吉田拓郎にハマってます。




数多くのミュージシャンからリスペクトを受けているのに、その時代のリアルタイムに聞いた人にしか支持されていないような気がします。

学生安保闘争が日本赤軍の浅間山荘事件により若者達はドン引きをして、目標となる指針がなくなった時にちょうどよくこの吉田拓郎が「結婚しようよ」と個人的なハッピーな部屋に呼び込んだのでした。

政治と戦うのではなく個人個人の内面と向き合う方向は政府としても大歓迎で、きっと色々と彼に対して後押しをしたと思います。

その後、井上陽水の若者の自殺より問題は彼女のうちに行くまでの傘がないなどと、これも鮮やかに悩める若者の格好良さが現れていて、もうみんな一緒じゃなくて、それぞれ苦悩して幸せを求める時代になろうと言ってるようです。

そしてこの陽水と拓郎は現在70近い年になっても、あまり深く考えず、大真面目にならず軽い。
いつでも信念みたいのはポイっと捨ててしまう様に見えます。
そしてそのようなあまり物事に執着しない精神はまたどんどん古くなっていて、野外フェスでごまかされていた若者達はこの前のデモのように時代を変える熱やムーブメントを求めているような気がします。


ちょっと前置きが長くなったけど、本題は吉田拓郎の歌の中で「襟裳岬」という有名な曲の事です。

森進一が1974年のレコード大賞を取った大ヒット曲です。

当時のレコード大賞の価値と言ったら、今の何十倍もあった。
もうこれを取ったら一生食いっぱぐれはないと思えるすごい称号だったと思います。
この頃は最盛期の真っ只中でもあり、視聴率が50パーセント近い数字だった。
残念ながら年々価値が下がってきて、個人的には光ゲンジが取った時から凋落が始まったと思っています。

僕の生まれる前の曲ですが、ずっとこの曲が好きで、大人になった時に吉田拓郎が作ったのか、なるほどね〜と関心したのです。



ただ吉田拓郎はデモテープをしっかり作って森進一に渡したら、キャロルキングのつづれおりみたいにたんたんと歌い上げるイメージで書いたのに、思いっきりファ〜とトランペットから始まり完全なる歌謡曲になっていたからひっくり返ったと言っています。

吉田拓郎のバージョンで聞くとあんなに力を込めて歌うものではなく、日々のちょっとしたやり取りをボソボソと語る感じになってます。
歌詞的にもそっちの方が確かに合っていると思います。

で、この歌詞で昔からいつも気になっていた事があります。

それは色々歌って、最後に「襟裳の春は何もない春です」と言う所です。

この詩を書いたのは吉田拓郎ではなくて、彼の右腕である岡本おさみです。
彼は完全に作詞家としてのプロであり、吉田拓郎に旅の宿や落陽など、たくさん作品を提供しています。
彼についても色々あるんですが、日本人にしかわからない土着した空気を出させたら右に出る人はいないんじゃないかと思わせる歌詞ばかりです。
でも吉田拓郎特有の哀愁や力強さがある曲でないと成り立たないし、また逆もしかりだと思います。

話は戻って、襟裳岬の歌詞ですが、「襟裳の春は何もない春です」の部分が最後に取ってつけたかの様に言われます。

彼らの前に実はこの地については島倉千代子が歌っている同名の「襟裳岬」があり、こちらも大ヒットしていた。
だから襟裳岬には森進一と島倉千代子どちらの襟裳岬も歌碑としてあります。

その島倉千代子の方は昆布だとか燈台守だとか、ちょこちょことその地にあるキーワードが出てきて、いわゆるご当時ソングのていをなしています。

ですが森進一、いや岡本おさみの歌詞ではそんな襟裳のアピールなど一切なく、ただ最後に「襟裳の春は何もない春です」と言い切って終わる。

だから昔から僕は別に襟裳岬でなくて、どこでも良かったんじゃないかと思っていた。
ただでさへ先に島倉千代子が有名にしていたのだから。

とりあえず、その疑問がある襟裳岬の歌詞です。


襟裳岬

北の街ではもう 悲しみを暖炉で
燃やしはじめてるらしい

理由(わけ)のわからないことで 悩んでいるうちに

老いぼれてしまうから 黙りとおした歳月(としつき)を

拾い集めて 暖めあおう

襟裳の春は 何もない春です



君は二杯目だよね コーヒーカップに

角砂糖 ひとつだったね

捨てて来てしまった わずらわしさだけを

くるくるかきまわして 通りすぎた夏の匂い

想い出して 懐かしいね

襟裳の春は 何もない春です



日々の暮しは いやでもやってくるけど

静かに 笑ってしまおう

いじけることだけが 生きることだと

飼い馴らしすぎたので 身構えながら話すなんて

ああ おくびょうなんだよね

襟裳の春は 何もない春です



寒い友だちが 訪ねてきたよ

遠慮はいらないから 暖まってゆきなよ




この何度も「襟裳の春は何もない春です」と言うので当時は襟裳に住んでいる人から苦情が殺到したそうです。
確かに何も無いと言って一切持ち上げる箇所がないから当然だと思う。

そしてこれはどういう状況なのか?と考えるようになりました。
ネットでもこの疑問をずっと持っていた人がいたみたいで、色々と議論がなされたようです。


まず始まりが、

北の街では もう悲しみを暖炉で
燃やしはじめてるらしい

と始まります。
「らしい」と言っているのでこれは襟裳に住んでいる人が言っているのはなく、手紙かなにかで襟裳の知人からここはもう寒くなって暖炉が必要だという情報を得たのだと思う。






そして次に


理由(わけ)のわからないことで 悩んでいるうちに
老いぼれてしまうから 黙りとおした歳月(としつき)を
拾い集めて 暖めあおう



ここで混乱しそうですが、これは手紙を受け取った方ではなくて、襟裳岬に住んでいる側からの言葉です。



主観の入れ替わりです。

歌で聞いているとずっと一人の人間が言ってるように思えるので、ここがまず一番の落とし穴です。
手紙を読んでいる主人公の声がだんだん小さくなって、手紙の人の声に入れ替わっていく状況です。

拾い集めて 暖めあおう

と言っているのでこっちに来てみないかと誘っているのです。

そしてそんな歌詞の流れなどどうでもよく「襟裳の春は何もない春です〜」と気持ちよくビブラートを伸ばしたいだけの欲求に紛れてしまう。



でもこれで「襟裳の春は何もない春です」と言ったのが、かつて東京かどこか都会に住んでいた知人が静かな北海道の襟裳に住んで「何も無い」=「人間関係やらのストレスがない」と良い意味で言っているのがわかる。



襟裳の住民もここの切り替えがわからず、ただやみくもに「何も無い」というネガティブイメージを受け取っていたに違いない。


ただその「その何も無い」は一番の歌詞だけではまだ説明不足だと思う。

2番で意外な展開が待っている。

君は二杯目だよね コーヒーカップに
角砂糖 ひとつだったね



あれ?

君ときたか。

君と言えばこの当時の言い方ではもちろん女性の事を指す。



先ほども言ったとおりここには政治的な色は皆無。

軟派な男が彼女とコーヒーを向かい合って飲んでいる情景が出てきた。



という事で先ほどの手紙を受け取ったのは昔つき合っていた女性なのかも知れない。

訂正して場面設定はこうだ



都会に住む彼女、そんな都会がイヤになって襟裳に逃げた彼が手紙を送ってきた。

こうだろう。

つい最近まで知床旅情のような北海道の雄大な景色をイメージに男の友情や仲間のやりとりかと認識していたが、違った。

なぜそうなっていたのかと言うと、この2番目の歌詞はテレビで放送する時によくカットされるからだ。

確かに1番と3番とでも収まりは悪くないんだけど、この女の存在が皆無だ。


そして次の歌詞、

捨てて来てしまった わずらわしさだけを
くるくるかきまわして 通りすぎた夏の匂い
想い出して 懐かしいね

という事なので、これはもう手紙のくだりは終わって、実際に女と会っている。
なんだ、いちゃいちゃしてるではないか。

おそらく彼女の方から今の彼が住んでいる襟裳まで会いにきたのだ。
そして多分この元カノであろう女性と昔のいろいろあった苦い思い出を笑い飛ばしていると見ていい。




で、そこでまた言ったんだろう。

襟裳の春は 何もない春です

と。

ここはそんな辛い過去も知っている人間もいなくて、一からやり直せると言うすがすがしい気持ちが現れている。


そして3番は彼女との会話が続きます。


日々の暮しは いやでもやってくるけど
静かに 笑ってしまおう




いじけることだけが 生きることだと
飼い馴らしすぎたので 身構えながら話すなんて
ああ おくびょうなんだよね
襟裳の春は 何もない春です


もう過去の自分ではなく、気持ちが大きく穏やかな心の持ち主に成長したとアピール。
見ようによっては彼女からの目線になっていると見てもいい。
彼はもうここに来て生まれ変わったんだと、彼女が惹かれていると思ってもいい。

そしてこのメロディーの中でもっとも盛り上がる所


寒い友だちが 訪ねてきたよ

遠慮はいらないから 暖まってゆきなよ


一度サビを終えてからの、もう一度気持ちよくサビを歌う。
ここは多分みんな好きな部分だと思います。
そしてやっと何か北海道らしい豪快なフレーズがバタバタとやってきて、ああ何か北海道だねーと余韻を残して終わる。

場面的にはこんな感じで、









彼女が来た事を地元の仲間(寒い友達)に冷やかされる。
その後、襟裳に彼女が一緒に住むようになるかも知れない。

何もないと言われた地にまた新しい価値が生まれようとしている。

とってつけたようなご当地ソングよりこの襟裳岬の方がこんなに意味深い。


今回、絵にした事によりモヤモヤしていたのが決着ついた。
意外とスッキリした。

元々は岡本おさみの焚火という詩が原型にあって、襟裳ありきの歌ではなかったそうです。
あとから何故か襟裳岬という地名を入れた。
先ほども言ったようい島倉千代子のヒットした歌があったのにも関わらず。

何故か?





それはやはり申し訳ないけど襟裳岬は「何も無い」からだと思う。

宗谷岬や納沙布岬、知床岬にしても大陸や島が遠くに見える。
だけど襟裳岬は無限に広がりを見せる太平洋だけ。
そこにやはり北海道という寒く都会が嫌になった若者を置きたい。
そうなるともう島倉千代子と勝負してでも襟裳岬しかなかったのではないか。

僕も2回ほど行った事があるが、何か吸い込まれるような海が印象的だった。
そして確かに不思議とリセットされる気持ちになる。
そんな感情を作詞した岡本おさみは感じとって焚火と言う詩に「何も無い」という哀愁と晴れ晴れした二つの感情を「襟裳岬」という象徴に置き換えたかも知れない。

だから結論的には襟裳の人たちの文句もあながち間違っていない。
襟裳の事は割とどうでもよく、都会の人が心に傷を負って癒されていく話なのです。
つまり襟裳に住んでいる人達にだけでなく、全ての人が感情移入できるように作ってある。
何より吉田拓郎がわざわざ誰かの為に何かを作る性格ではない。

題名も「あたたまっていきなよ」でも良かったかも知れないが、吉田拓郎と岡本おさみは詩よりもどれだけメロディーに言葉の響きが合うかで考えたそうなので、「え〜り〜も〜〜」と響きやすい「え」で始まらないとダメだったのかも知れない。

ちなみ元々は襟裳の春ではなく秋だったそうだ。
これも吉田拓郎が音的に春の方が合うから変えたっぽい。
確かに暖炉に火を入れるらしいと始まるので季節的には秋の方がいい。
そこらへんの時間軸の狂いが気になっていた人も多く、議論されていた。


僕がこの詩で好きなフレーズは3番に出てくる「飼い馴らしすぎたので」です。
この言葉はこの曲の世界観を集約してるような気がする。
闘争の痛手がどんどん癒されて、ある種の洗脳が溶ける情景のようにも思える。
そうなるとやはり雪解けの春が季節的にあっている。

こんな風に襟裳岬には色々と良き時代のエッセンスが盛り込まれている。
この時代の話など、どんどん忘れ去れて、僕らの世代がギリギリその残り香をかすかに嗅いでいるだけで、あと10年もしたらほとんどこの感覚は無くなってしまうのかも知れない。

それにしても改めてこの曲はいい曲だ。








1 件のコメント:

  1. 「....元々は襟裳の春ではなく秋だったそうだ。
    これも吉田拓郎が音的に春の方が合うから変えたっぽい。」

    憶測に基づいて、勝手にこのような決めつけをしている人が多いようですが、それは完全な誤報です。詩が、作曲者の手許に届いた時には、既に秋→春に置き換わっていた。それは、作詞者が意味を込めて言葉を選んで置き換えた_そうでないと筋が通りません。
    作詞者本人が語った「襟裳岬」という文章をよく読めば、それは確認できる筈です。
    音の問題ではなく、意味を込めて作詞者がそうしていることは間違いありません。

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