2015年11月4日水曜日

谷崎潤一郎展

中島公園にある北海道立文学館に行ってきた。


紅葉の中島公園を歩くのは初めてだった。


最近の風雨にも耐えて鮮やかな色が広がっていた。
ここまでキレイだと花より葉っぱの方が美しい。



この日は暖かくて時より吹く少し冷たい風が気持ちいいくらいだった。



毎年思うが、11月3日の文化の日って思わぬ休みをもらったようで好きです。



谷崎潤一郎展。



痴人の愛という本を大昔に1冊だけ読んだ程度なんですが、文化の日という事もあり、なにしろ谷崎潤一郎展に行くという行為が非常に自分のステータス的に良い。

でも読まない割に様々な作家の間で名前があがってくるので、その度にちょくちょく知識が勝手に増えていくような人でした。
それだけ書き手側からのリスペクトが多い印象があります。

ドナルド・キーンがノーベル文学賞候補を日本人の中から教えてくれと選考委員の方から言われたので、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、西脇順三郎と4名を挙げた。

その中でも三島を一番評価していたが、日本の年功序列の精神を汲み取って谷崎潤一郎を推薦したという。

でもその2年後谷崎が亡くなったので次に年齢が高い川端に決まった。
余談だが、後年、三島はその事をとても悔しく思ったそうで、とてもこの賞が欲しかったみたい。

だから本当なら谷崎潤一郎がノーベル文学賞を受賞していたのかもしれない。
また三島がとっていたなら、運命の歯車も変わって自決なんてしなかったかもなんて。
あ、でも川端康成はガス自殺か。

夏目漱石、芥川龍之介、三島由紀夫、太宰治ってどんなに本から縁がない人でも名前だけ聞いた事があるではないか?
多分ほとんど知らない人はいない思う。

で、次に川端康成、宮沢賢治あたりになると知らないという人が少しずつ出てきそう。

そしてさらに谷崎潤一郎になると「完全に知らない」が続出すると言う微妙な位置づけが僕の中であります。


それは彼自身の世間に向けてのパフォーマンスがあまりなかった事かなと思っています。
谷崎と聞いてパっと顔が浮かぶ人も少ないとも思います。

実際僕も今回の展示で彼の子供の様な身長の低さにビックリしました。

























顔はキリリとしていいのだけれど、まるで小人のようにも見えた。

入場料は800円。
絵の展覧会ではなく基本的に文字の世界だから、ショーケースの中のものを読むと言う行為が主体になります。

中には生前使っていた、硯(すずり)、筆、自筆の原稿用紙などがありすごく興味を引いた。
まずペンではなく筆で書いていた事に驚いた。























道具というのはどんな物でも慣れれば気にならなくなると思うけど、今と違って生原稿を持ち帰る編集者は扱いに大変だったろうと思います。

今はこうやってパソコンの文字を何度も何度も書き直したりできるけど、手書き、ましてや筆となるとそんなに直す事ができない。
もちろん原稿用紙のはずれに訂正はよくしているのですが、やっぱり今の人より即興的な緊張感が違うと思う。

戦時中にユーモラスな関西の四人娘の話を書いた代表作「細雪」なんかは、軍の方から戦意をそぐから止めさせられたという。
まあたしかに姉さんが嫁に行くだの行かないだの日常的なおっとりとした会話は軍人からしてみればイライラするかもしれない。
戦後にまた執筆再開して完成したそうです。

そして唯一読んだ痴人の愛コーナーで少し時間をさいて、資料パネルの文字を読みました。
大体どんな話だったけか、、とにかく女に何度も裏切られても偏執的愛情をそそいでしまうダメ男の話というのは覚えている。
そして読み終わった時にあまりにその情けない男が嫌で、谷崎の他の作品を読む気が起きなかった。
そして小説の内容より巻末の解説の方がよく覚えている。
確か江戸時代の華やかな後期あたりはそういった男の堕落の美というものが存在したと。
そこで、ああ、なるほど、、落ちて行く気持ち良さって言うのも確かにわからなくないなと思ったけど、ある種の気持ち悪さは拭いきれなかった。

改めて思うとあんな明治の厳しい男社会の中、感覚としてはかなり異端な事を書いていたのだと思う。
笠智衆が「明治の男は泣かない」と言って泣くシーンはとらなかったエピソードを思い出す。
確かにお話なんだから別に現実に沿ったものを書いても読み手としては目の前の光景で知っている訳だから面白くないかも。
とことん女にだらしなくて、何気ない会話、ゆるく流れる日常、それでいて品のある知らない日常の世界を見せてくれる彼のような作家は今まで誰もいなかったのかも知れない。

そんな事を振り返りながら再び痴人の愛の資料パネルを読んでいると、けっこう思い出してきた。

そうだ、そうだ、この河合譲治!
こいつの呆れる情けなさ!
ナオミを憎めば憎むほど、何故かどんどん美しさに惹かれて行くという気持ち悪さ!
17年経ってもやっぱりイライラする。


























女が男を騙すのではなく、男が女に騙されているのをわかった上で楽しむ。

人間、感受性が豊かすぎると魅惑の袋小路に入ってしまい二度と帰ってこれない。

後半なんてもう見ていられなかった。
思えばそれだけ強烈な印象を残っているっていう事はすごい作品だった証拠かも知れん。

この作品は谷崎は私小説って言っているらしいが、それだったらあまりにも自分を切り売りし過ぎだと思った。
心の表現が細部まで渡っている己の声だけは他人に絶対知られたくない。
僕だったらチンコ見せるより恥ずかしいかも知れない。

でも文体は完結で、よどみがなく音楽のような気持ちいいリズムがあるのと、何度も同じ様な描写の繰り返しても不思議にくどくなく、サラリとしている。
要するに品がある。
これってすごい得な才能だと思います。



その後は隣接する北海道ゆかりの作家達の展示も足早に見て終わらせた。
谷崎潤一郎展でけっこう文字を読んでいたので、もう目が疲れていた。
昔はきっと文学少女だったであろうおばさま二人がマニアックな話で盛り上がっていた。


外にで出て見ると、再び飛び込んでくる紅葉。
11月初めぐらいが北海道の秋にとって一番いいのではないかと思った。
ちょっと寒いけど歩いていれば気にならない程度の気温。

黄色い鮮やかな落ち葉の上で子供を撮っている親がたくさんいた。
その子供がモデル立ちしているのにちょっとイラっときた。

中島公園、たまに散歩だけの目的で来てもいいかもしれない。












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