2013年11月25日月曜日

グロテスク


土曜日に近代美術館へ行ってきました。
フィンランドのガラス工芸品がズラっと並んでいましたが、ザっと見て終わりにしました。
正直こんなにつまらないものもない。
どれを見てもそんなに違いがわからない。
歴史的に支配下にあったフィンランドがガラスの生産をかなりやらされていたのが発展の始まりらしく、そのうちある一つの会社がデザイン性を求め大会など開き、そこで一人の飛び抜けた才能のデザイナーが価値をどんどん高めたらしい。
価値を変えようとした人と、それに応えたクリエーターの二人で歴史はいとも簡単に動いた。

そういう文章ばかり読んでいて、本編の工芸品にはほとんど興味を持てなかった。
これだったら芸森にあるクラフト館に展示されているものの方がかなり面白い。
逆にそこでさんざん斬新なガラス工芸を見ているので、イマイチ目新しさを感じなかった。

デザインは突き詰めて行けば結局シンプルになり、シンプルになればなるほど相対化が難しい。
ガラス工芸の歴史もそうで、最終的には無印良品で売っているようなグラスをさんざん見せられた。

僕が興味を持ったのはこの面白味のない展覧会に多くの観覧客が来ていた事で、一体彼らは何に興味を持っているのか教えてほしい気持ち半分で盗み聞きをしたりした。
でも内容は大したものではなく、感性の豊かさをアピールしているようにも聞こえたし、ガラス工芸品にしてみても、もうそんなに引き出しないよと言っていた。



それより隣で開催されていた深井克美展の方が面白かった。
函館出身の画家で幼い時に父親を結核で失くし、妹は養子に出して自分と母さんの二人で上京をする。
14歳の時に自分も結核にかかり、病弱ながらも絵画に目覚め、夜間の美術大学に通っては展覧会に出品を続ける。
だけど初の個展が大成功に終わった数ヶ月後の30歳の時に建物の8階から飛び降り自殺。

絵はどれもグロテスクで人の顔が壁に埋まっていたり、分裂されたものばかり。
これを描き続ける人が自殺をしたと言うのは、そりゃそうだろうと言いたくなる。
ただ技術は圧倒的で、細部まで手抜きという跡が全く見られない。

中にはラフスケッチに母さん宛の短い文章があった。
夕ご飯は先に食べました。
食器は洗っていません。
おかずのうなぎは残してあります。
などとやさしい丁寧な文章だった。

僕はグロテスクな絵は少しも描く気になれない。
描いたとしてもずっとそれを描き続ける事はできない。
本当に何故こんな絵を描き続けなければならなかったのか、いくら考えても答えが出ない。
ただこれは描きたいから描いたと言うよりも、描かなければ生きる事ができなかった領域のものだと思う。
そして、作風と死は全く関係ないかも知れない。
死は理屈ではない様な気もする。




セントラルに寄ったらこんな懐かしいものが売っていた。
クレヨンと言えばこの男の子と女の子が向かい合ってスケッチしている絵だ。
昔っから女の子のつり目が何か怖かった。


 さらに昔はこんな絵だったらしい。
構図も景色も変わらない。




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