先週の事ですが、
久々に小樽美術館に行ってきました。
「北の水彩画人 白江正夫と宮川美樹」展。
どちらとも教員生活をしばがら画業を重ねていたそうです。
教師の間は公務員だし、絵の売買の方はできなかったのかな?どうなんだろう?
とにかく作風は違えど、本人達の顔が似ているのであまり並んで欲しくない感じです。
白江さんは内閣総理大臣賞を受賞するなど、華々しい経歴を持っています。
絵も水彩画とは思えない重厚な迫力でせまってきました。
どの絵もどこか物悲しく、静かでありながら威厳がありました。
コントラストの強弱が見事で、太い黒が画面を引き締めて見やすく、誰もが共感を持てると思います。
どの絵も心象風景の奥底にある何かをうっすら感じられました。

もう一方の宮川美樹さんは、すごいです。
何がすごいって画面を埋め尽くす緻密な砂と水滴が一切の妥協なく描かれています。
この画像はパンフレットの印刷物を写したものなので、わかりませんが、砂の一粒一粒にしっかりとした陰影を搔き込んでいます。
こちらも穏やかな波と砂場があるだけで、とても静かな絵です。
そういった海の匂いや雰囲気をノスタルジックに感じたい所ですが、なにせ緻密なスーパーリアルの世界に驚かされてしまいます。
もし本当に海の風情を見ている人に感じてもらいたいのなら、こんなに描き込まないのではないか?
なにせ、どれほど時間がかかったのかと見るより先に呆れかえってしまうので、、。
そしてそういう絵が1枚ならまだいいんですが、何枚もあるのです。
さらにこの人のこのシリーズ、全て作品名が「刻」なのです。
パート2とか、番号をつけずある意味、潔癖性な人ではないのでしょうか。
絵の構図はほとんど変わらなくて、貝殻の位置や砂場に描かれた落書きが違うだけなのです。
一つ言える事は果てのないドミノを並べるような作業がこの人にとっては喜びだったのだと言う事です。
続けるという行為にはその燃料がないと無理だと思っています。
どちらの画家も思えた事なのですが、悪い意味ではないのですが、単純に切迫した危うさがないって事です。
教師と言う職業柄なのか、常にバランスを保とうとする美しさが際立っていました。
そう思うと先々週見た深井克美のグロテスクな絵はすべてが危なっかしかったです。
もちろん鑑賞するには今回の二人のような絵の方がいいですが、深井克美は違う色の驚きを与えてくれたと思っています。
いずれにせよ、芸術である以上「芸」なのですから、何らかの心の揺すぶりをさせられたら、そこには値段などという価値観はなく、好き嫌いを越えた作品と観る側のフラットな関係だと思っています。
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