今回ルーリードの事を書くにあたって、ベルベットアンダーグラウンドの作品を含まないのは、ソロとは色が別物なので分けないとこちらもキリがないからです。
ただファーストのロックの幻想はほとんどベルベットアンダーグラウンドの時に書いた曲なので、実質本当のファーストはトランスフォーマーからだと思います。

そしてこのトランスフォーマーというアルバムがデビッドボウイの協力で歴史的名盤と輝いた訳ですが、この種の輝きがもう一回くる事はなかったのです。
でも次にきたアルバム「ベルリン」は前作の「トランスフォーマー」とは違った切り口で同レベルの完成度を誇ります。
これはきっと、本来ルーリードがやりたかった総合コンセプトアルバムで、奇跡的な名盤です。
この「トランスフォーマー」→「ベルリン」の流れはなかなか類を見ない成功だと個人的に思ってます。

商業的にはどうかわかりませんが、完成度といい、この時期のルーリードは創作に対して充実していた。
しかしこの「ベルリン」の様なコンセプトアルバムはずーっと後に「マジックアンドロス」と言う宇宙的統合アルバムまで出なかった。
きっと商業的なノルマを考えるとそうはいかなかったのでしょう。
そしてこの「マジックアンドロス」、前作のストレートな感情を吐き出した「ニューヨーク」がすごくヒットして、ルーリード復活を位置づけたアルバムの後だっただけに、難解な内容がいけなかったのか、やはり控えめに見ても一般的にコケた作品という事になっています。
でもこれが、ルー本人が言っていた「カラマーゾフの兄弟と同じレベルのもの」を作ろうとした最大の意欲作だったと思います。

若い頃の傾向として退廃的で、救いがない人達の儚さをテーマに扱ったりしてましたが、後期は希望や未来に対する明るい羨望を少しずつ扱うようになったと思います。
先がまだまだあるのと、ないのでは発する方も受け取る方も気持ちが違う。
後がなくなるほど希望を強く言わなくては生きて行けない。

このボックスセット2回買ってます。
ボックスってすごい流行ってたね、、。
カラマーゾフの兄弟のレベル=普遍的に価値が下がらないもの。
これが彼の生涯のテーマであったとするならば、十分そのレベルの作品は作ったと思います。
最近のルーリードの顔は病気の影響からか、老人そのもので割とショックでした。
そして鏡で自分の顔を見ると、「そりゃルーリードも死ぬか」と思えます。
「老い」と言うものに対する接し方が人生の方向性を決める。
彼の場合、逆らうのでもなく、粛々と受け入れて行った感じに見受けられます。
生や死と言ったテーマは何度も扱ってきただろうし、結論も出ていた思います。
ですが、その彼にしても本当の意味で考える事は無理だったと僕は思います。
本当に最後の最後でしか受け入れらない事柄だと。
ただ一つ言えるのは死は「つまらない」のではないかと思います。
特に色も形もなく「つまらない」ものなのではないか。
つまり普段の生活でも「つまらない」と思ったら、少し死んでると思っていい。
「老い」や「終わり」について結論から言えば「考えてはいけない」のかも知れません。
どんなに老いて、生きている事が嫌になっても「でもとりあえず今日死ぬのは嫌だ」が本心なのかも。
きっと最後はびっくりするほど、何も用意されていない。
そしてこういう老いについて考えを巡らせれるほど、まだ僕も若いのかも知れない。
3度の結婚をして子供はいない。
当然ゲイではない。
キャラ作りで装った事もあるが、根本的に無理だったのだと思う。
最後にローリーアンダーソンと言う最良のパートナーに出会えたのだから、幸せな人生だっと思います。
とにかく彼の人生は終わって、これからの彼はない。
10年待ってもない。
すごく残念だ。
公園でサングリアを飲む。
日がとっぷりと暮れて家路に着いた。
ああ、完璧なる一日。
「パーフェクト・デイ」(トランスフォーマー)
0 件のコメント:
コメントを投稿