介護という事をぼんやり考えた時、今でさえ体が不自由になった老人のケアが大変なのに昔はどのようにしていたのか気になりました。
そこで思うのは姥捨山(うばすてやま)という風習です。
本当にこんな酷い話があるのかと調べたら「棄老」というのは世界各地で昔から話にはあるそうです。
日本で民話として残っているのは「難題型」と「枝折り型」に分かれるそうです。
なんの事かと言ったら難題型は昔から知恵にある老人が難題を解決して国が救われるというオチです。
これはどうでもいいんです。
もう一つの枝折り型は村のしきたりなのか人減らし口減らしなどと、とにかくやむ得ず年老いた親を背負って山奥に捨てに行く息子の背中で老人が枝を折っているいる音が聞こえる。
なんの事かと複雑な思いをかかえてた息子がはじめて「何をしているんだ?」と聞いたところ
お前が山から降りる時に道に迷わないようにと親は答えたという話です。
自分は捨てられる身でありながら最後まで我が子の事を 思う親の姿に息子は考えを改めて親を背負ったまま村に帰ったそうです。
この話はかなり古い時代に確立した話だそうで清少納言の枕草子にも触れられている事から相当根深いです。
親を捨てるというこの世の一番の大罪に近い行いを一気に愛情によっていい話に変わるこの振れ幅は見事です。
たまにこういった完璧な「お話」というものが存在します。
そしてたまにこういった完璧な「お話」に出会います。
本当にこんな風習があったのかどうかはわからないそうです。
現代の人の視点からはこういった酷い話はないものにしようとする空気もあります。
ただ僕はこの枝折り型の話があまりにも見事なので、実際にそういう事はなくても様々な形を変えて民間伝承で残ったのではないかと思います。
そして誰かがこの短い話を考えた。
あるいは本当に事実としてあった。
いずれにしてもいい話だと心を打たれたのは時間を超えて同じだということです。
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