2014年12月15日月曜日

象徴的な事

選挙に行ってきました。
僕の地域は小学校の体育館で、以前住んでいた所とは違って、歩いてもさほど苦にならない距離にあります。




自民党が圧勝で終わるとわかりつつも、自分の1票が少しでも国を動かす影響があると思えば行きたくなります。

それと国全体でやっている行事に参加して一般的な共通認識を持つと言うのも意外と大事だと思います。
あとは割とどんな感じでやっているか興味もあるので行きたい方なんです。



選挙に慣れてない人もチラホラいて、僕の前のおばさんは投票用紙を入れ忘れてたりしていました。
でも係員の人もやさしく応対をして、随分とほのぼのとした雰囲気です。
選挙ってわずかですが地域住民の交流ができる場でもあります。


前回も記事に書いた事があるが、最高裁判官の国民投票はいつも困る。
まず誰も知らない。
無知はこちらがわの責任なので、一応おいてあった新聞をさらっと流し読みする。
過去に少しでもミスジャッジがあったらならとにかくそれを頼りに判断もできるが、当然マイナスになる事など書いていない。
読めば読むほどその人の司法に対する熱意だったりこれまでやってきた事件などに感心してしまい、自分などが判断を下してはいけない気持ちになる。
結局、誰にも不信任案のバツ(×)をつけずに出した。
相手の事を批判する時は十分な判断材料を集めてからででないとできない。
この制度は間違っていない。
司法を裁くのは国民。
だから次こそはもうちょっと情報を集めて判断できるようにしたいと思います。




だけど先ほど投票用紙を入れ忘れたおばさんが投票箱に入れる時、紙が見えてしまった。
そして全員にバツをつけていた。
あの温和な顔で全員に不信任の印をつけた感じがちょっと怖かったけど、単純に良くわからずバツをつけたのではないかとも思います。
でも大丈夫です。
これで罷免された裁判官は過去に一人もいないのですから。

戦後この制度を作ったアメリカのGHQもこれってやる意味あるのか?と懐疑的だったそうです。
と同時に「国民が主権」という象徴的なイベントの意味もあるからいいか、となったそうです。

そういったら、結果がわかっている今回の衆議院選はいつもより特に象徴的な行事かもしれません。
「あなた達が決めたんです」という事を認識させる意味で。

思えば、民主党が政権を取った5年前の選挙は良い悪いは別にして「国民が主権」って体感できた出来事だったかも知れない。



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