2018年1月29日月曜日

しめつづけるもの

毎日少しずつ本棚の整理をしているのですが、改めていろいろと買ったなーって思っています。

特に少し分厚い装丁がまあまあ凝っているものなど、すぐに背表紙を見て値段の高さに軽い目まいを起こすのです。

とはいえ身銭を切って買ったものはどうしても買わずにはいられなかった理由があるはずです。
僕の場合は衝動買いというのはほとんどありません。
なので1冊1冊当時どのような理由、その当時の流れや気持ちで買ったかは記憶しているものなんです。





全てにおいて買って無駄だったという後悔はないにしても、読み返すというのはほぼないので、ひたすらアパートの床をしめつける控えめに言ってもマイナスな作用しかないままこの紙の集合体は存在し続けるのです。

そのためにも大江健三郎が唱える本当の読書は二回目というリリーディングを行い、少しでもその罪悪感を軽くしていかないと精神的にもよくない。
だけど適当に本をとって2〜3ページを読んでは目の疲れから軽い頭痛がやってくる。

背表紙をみて値段に目まいを起こして、少し読んでは眼精疲労からの目まいを起こす本とは本当に僕のためになっているのだろうか?

ポールオースターのムーンパレスという小説でおじいさんの遺品にダンボールいっぱいの本がでてきた。
そしてそれはおじいさんが読んだ本の順番通りにハシから収められていた。
それを主人公がおじいさんの読んだ順番と同じように読んでいったらおじいさんの人生を追体験している感覚になったという確かそんな話がある(たぶんいろいろ間違っている)

ポールオースターの小説ではこんなちょっとした味のある小話がよくある。
その中でもこの話は巨大な本棚を見ているといつも思い出してしまう。
自分自身を洗い直すためにももう一度全部読み返しても面白いとは思っているが、多分昔より読むスピードが落ちているので全部読むのに時間にして20年くらいかかりそうです。

とりあえず今2年くらい読んではやめ、読んではやめをしているジョン・アーヴィングのサーカスの息子(上)を1日5ページくらいずつ読み進めているのです。








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